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新海誠 「日本の風景」で世界を驚かせたい

2013年07月10日 公開
2021年01月15日 更新

新海誠

一人で考える時間の長さが映画につながっていく

木村 いまおっしゃった、一般的なスタジオでつくる作品とは異なる、新海さんならではの映画の作り方は、具体的にはどのようなものでしょうか?

新海 映画が完成すると劇場公開が始まりますよね。そうすると、プロモーションのために国内外に出ていくことになります。

そのプロモーションの旅が終わるころになると、一本の作品を通じた観客とのコミュニケーションから、「次はこういうものを描くべきだ」とぼんやりとした輪郭が見えてくる。そこから延々と一人の時間を重ねるのがぼくらしい映画の作り方だと思います。

一般的には、監督が一人で考えるときもスタジオという仕事場に通いますが、ぼくは半年以上、ほぼスタジオに行かずに自宅で生活します。そこで次回作のための種を集めて葉を広げていく。

外を散歩したり、いろんな本を読んだりしながら、自分が次につくるべきものの断片をつなぎ合わせて、一人で構想を練っていく。

企画ができあがると、デビュー以来お世話になっている製作会社(コミックス・ウェーブ・フィルム)のプロデューサーにプレゼンテーションし、議論を重ねていきます。「いけそうだ」と判断したら脚本を書いて、絵コンテにします。

今回の『言の葉の庭』では、46分という上映時間ちょうどのビデオコンテを自分でつくりました。絵は動かないですが、46分の紙芝居みたいな形にして、声も自分で入れ、一応、映像作品として観られる程度にまで仕上げました。

昨年5月から9月までは、ずっとこのビデオコンテの推敲をしていました。いったんできあがれば、もう作品全体の厳密な設計図になるので、変更を加えません。昨年10月から今年3月にかけて集団作業を行ない、それで完成です。

スタッフとの仕事もすごく大事ですが、ひたすらビデオコンテをつくりながら悩んでいる時間、これがもう圧倒的に長い。自分の原作でない作品が多いアニメーション業界においては、ぼくはどこまでも、よい意味でも悪い意味でも作家性が強い。そういうやり方しかできないのかもしれません。

 

海外に「言い訳」しなくていいものを

木村 海外で作品が観られ、海外の人たちとコミュニケーションをするなかで、ご自身の作品や日本のアニメーションの捉えられ方についてどのようなことを感じましたか?

新海 ぼくが行った国のフェスティバルやイベントでは、日本のアニメーションはたいへん歓迎されます。そもそも日本のアニメが大好きという人が集まってきていますから。驚くほど深いファンが多いんです。

中東のように、日本とは社会のシステムが全然違う場所でも、カーステレオから日本のアニメの曲が流れてくることもある。運転手の部屋に行けば、『少年ジャンプ』が置いてあったりする。

日本のアニメはエンターテインメントとして格好よいですが、海外の方にとっては自らの個性を主張するツールになっているんです。だからこそ、ぼくは言い訳や説明をしないで済む、作品単体で観てもわかる、それでいて面白いものをつくりたいと思っています。

たとえば、学園における「ハーレムもの」――なぜかかわいい女の子が周りにいっぱいいて、モテてしまう男性の話って、日本には当たり前のようにあるじゃないですか。

もちろんそのなかに豊かなドラマ性があるんですが、設定としては明らかに不自然ですよね。そもそも、日本の学園というシステム自体が海外の人たちにはよくわからないかもしれない。

それでも一点において尖っている奇形さゆえに愛され、時には一部の熱狂的な支持を得ることもある。ただぼくは、そういう熱狂的なところからはみ出した人たちにも観てもらいたいので、日本社会における暗黙の了解がわからなくても楽しめるような基準でものをつくるように工夫しています。

木村 最後に、アニメーション作品が社会で果たす役割について、どのように考えていますか?

新海 ぼくは、アニメーション作品を観る時間を「ほんとうに楽しめるもの」にしたいんです。物語にハラハラするとか、感情移入できるとか、すごく綺麗なビジュアルを見て感動するということはもちろん、作品を通じて誰かを癒やすとか励ますとか、救うことができればいいな、と思います。

「この作品を観たら元気が出た」「学校や会社にあまり行ってなかったけど、ちょっと行ってみようかという気持ちになった」、逆に「学校や会社に行けなかったけれど、もう行かなくていいやと思い切れた」でもいい。

アニメーション作品は、心の傷を負っている人が、傷を治すためのあいだに貼るバンドエイド(絆創膏)のような役割を担い、前に進む手助けをすべきだと考えています。

どんな人でも「自分は社会的にどのような意義をもつのか」ということを考えながら仕事をしていると思います。そして、自分が果たせる役割が少しでも大きいほど、仕事の幸せも増えていく。

ぼくも日本に生まれたからには、自分の育った場所や、周りの人たちに対して、何らかの役割を果たせるような活動をしたい。だから作品を通じて、たんなる娯楽だけではなく、プラスアルファの効能を観る人に与えることができればと思っています。

 

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