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特攻隊員になった朝鮮人



2015年07月23日 公開

早坂隆(ノンフィクション作家)

特攻隊への志願

昭和19年10月、光山は陸軍少尉を拝命。順調な昇進だったが、翌11月、そんな彼を思わぬ不幸が襲った。京都にいた母親が逝去したのである。死に目にも会えなかったが、父親から伝えられた母の遺言は、

「文博はもうお国に捧げた体だから、十分にご奉公するように」

という内容のものだった。

やがて、父もまた同じ気持ちであることを知った光山は、特攻を志願。折から海軍が始めた特攻に、陸軍が続いた時期であった。周囲の戦友たちも、次々と特攻を志願していた。

上官の一人は、光山が朝鮮出身であることから、その覚悟の有無を改めて彼に確認した。しかし、光山の決意は固かった。上官は光山の強い意志に心を動かされた。こうして光山の特別攻撃隊への配属が決定した。

昭和20年(1945年)3月、光山は一旦、三重県の明野教導飛行師団に転属。同月29日、明野教導飛行師団の主導により、14個隊もの特別攻撃隊が編成された。その内の一つである第51振武隊の隊員の中に、光山の名前はあった。隊長は荒木春雄少尉、総員12名である。

第51振武隊は山口県の防府飛行場を経て、知覧飛行場へと前進。光山はこうして再び知覧の地を踏むこととなった。当時の知覧はすでに「特攻基地」と化していた。

光山は最初の外出日に早速、懐かしき富屋食堂を訪れた。

「おばちゃーん」

店の引き戸を開けて入ってきた光山の姿に、トメが驚く。

「まあ、光山さんじゃないの」

トメは温かく彼を迎えた。光山の相貌は以前よりも逞しくなっているように見えた。そして、トメはすぐに光山が特攻隊員であるという事実を悟った。何故なら、この時期に知覧に戻って来るのは、特攻隊員ばかりだったからである。トメの推察と不安は、光山から発せられた次の言葉によって裏付けられた。

「今度は俺、特攻隊員なんだ。だから、あんまり長くいられないよ」

約半年前に実母を亡くした光山にとって、トメの存在はより大きなものとして感じられたであろう。

久しぶりとなるお気に入りの「離れ」に通された光山は、そこで大きく伸びをして寝転がったという。

以降、光山は富屋食堂に毎日のように顔を出した。特攻隊員の外出は、せめてもの温情として、かなり自由に認められていた。

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