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世界に羽ばたく大戸屋〜定食に宿る松下幸之助の願い

2015年09月07日 公開
2023年02月27日 更新

三森久実(前大戸屋ホールディングス会長)

 

苦渋を嘗めた中国での経験

 いま「大戸屋」は台湾、インドネシア、シンガポールなどアジアで80店舗以上を展開しており、2015年初期にはベトナムに初出店する予定です。

 海外に行かれる方はよくご存じでしょうが、タイやマレーシアにある飲食店はどこでも香草の香りが漂っていますね。不思議なもので、日本食レストランでも同じ匂いがします。ところが、バンコクにある「大戸屋」のフランチャイズ店では日本の店舗と匂いが変わりません。なぜでしょうか。じつは調味料に秘密があります。われわれは海外で店舗を展開するときに、醤油やつゆなどの発酵調味料はすべて日本製を持って行きます。もしバンコクでつくられた醤油を使用すれば、現地の菌の匂いが付着して、嗅ぎ慣れない匂いが生まれるのです。

 大戸屋と契約しているある醤油メーカーでは、アメリカに工場をつくる際に、空気や温度の変化で思っていた味が再現できず、日本の工場の従業員が着たユニフォームを洗わずに持って行き、菌を転移させた逸話もあります(笑)。

 苦労話に聞こえますが、このようにして日本から持ち込んだ調味料を使うことで、大戸屋のコンセプトが崩れず、邦人のお客さんも懐かしい気持ちに浸れる。清潔感のある、居心地のいい空間を生み出すことができます。

 各国の店舗ではそれぞれの持ち味を打ち出し、結果を出してきましたが、唯一、中国での店舗展開は苦渋をなめました。中国向け食品を輸出する際には食品安全法や食品安全法実施条例など複雑で厳しい規制が多く、たとえば千葉県の工場でつくったPBの醤油を持ち込めなかった。仕方なく、近い味の醤油を現地で調達して使用したのですが、われわれが求める水準の味には程遠かった。急遽、アメリカのオレゴン州でつくった醤油を上海に輸入してどうにか対応したものの、文字どおりアウェーの洗礼を受けた経験でした。

 松下幸之助氏はいまから30年ほど前から「21世紀はアジアに繁栄が巡ってくる」と予見していました。松下氏のシミュレーションどおり、大戸屋は2005年にバンコクでアジア初出店を遂げてから、香港、シンガポールと順調に出店とブランディングを重ね、2010年にはアジア全体に浸透したという感触をもっています。フランチャイズでタイに約50店、台湾に20店ほど出店しており、われわれはロイヤリティを受け取り、ほかの国に出店するための資金に充てます。しかし、たんなる投資回収では終わらず、商品開発や食材の供給、教育指導などフランチャイズ店の面倒もしっかり見ます。「大戸屋は売って終わりではなく、その後のケアがきちんとしている」という信用は、海外における最高のブランディングになります。

 アジアでさらなる発展をするためにも、大戸屋ブランディングをニューヨークでも成功させなくてはいけない。ニューヨークにはアジアの人も多く、その大半が富裕層です。食通が多く、香港や台湾、シンガポールに住む仲間に食の情報が口コミで伝達されて、店舗誘致に繋がるケースが多い。実際、博多ラーメンの「一風堂」もニューヨークに進出後、シンガポールで突然ラーメン・ブームに火がつき、大繁盛しています。

 現段階では、積極的にヨーロッパに進出しようとは思っていません。まずはニューヨークに力を入れノウハウを得る過程で、いずれヨーロッパにも、と考えています。ファッションデザイナーの森英恵さんや三宅一生さんがニューヨーク経由でパリコレに参入して人気を博したように、やはり世界の最先端はいまもニューヨークなのです。

 

経営者の信念が揺らいではいけない

 日本特有の「おもてなしの精神」を海外に広めるために重要なのは、経営理念の浸透です。大戸屋の「人々の心と体の健康を促進し、フードサービス業を通じ、人類の生成発展に貢献する」という経営理念は、国内の店舗でも、海外のフランチャイズ店でも変えてはならない柱です。弊社の理念を理解してもらうために、直接、対話をして伝え、海外でも日本と同じ朝礼を励行しています。経営理念が盤石であれば、方法論は自然に決まります。逆に、本質が変わると、具体的な方法論も定まりません。激変する経済環境においては、実行のスピードやタイミングが遅れたことで、あっという間に市場から取り残されてしまう。しかし戦略を見誤ったのなら、その時代に応じたかたちに修正すればいいだけの話です。だから、経営理念を愚直に実践したゆえの失敗は、悲観することはありません。むしろ、社員を統率する経営者の信念が揺らぐことのほうが致命的です。理念を具現化する方法論が時代に合わないとか、経済環境が厳しい、というだけの理由で経営理念を変える必要はまったくありません。

 ただ、いくら経営理念を伝えても、海外の土地に根付いた慣習や価値観の壁を越えることは困難です。ニューヨークでは雇用者の年齢や学歴、住所を聞いただけで訴えられることもあり、パワハラ・セクハラ問題、宗教問題には日本以上に配慮が必要です。思わぬ現地での対応に、頭を抱えることが多いのも事実です。

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