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フレディ・マーキュリーを「神話化」した?『ボヘミアン・ラプソディ』の劇的効果

2019年02月13日 公開

伊藤弘了(映画研究者)

伊藤弘了『ボヘミアン・ラプソディ』全国公開中/配給:20世紀フォックス映画/© 2018 Twentieth Century Fox

伝説的ロックバンド「クイーン」のボーカリストであるフレディ・マーキュリーの一生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。その勢いは止まらないが、気鋭の映画研究者・伊藤弘了氏は、同作とナチ・ドイツ時代のプロパガンダ映画との共通点を指摘。論考「國民的アイドルの創生」で映画評論大賞2015を受賞した伊藤氏が、ロックスターとファシストの意外な関係を明らかにする。

※本稿は『Voice』3月号、伊藤弘了氏の「『ボヘミアン・ラプソディ』の危険な魅力」を一部抜粋、加筆・編集したものです。

 

『意志の勝利』に施された劇映画的な編集

ナチ・ドイツの呪われた芸術家レニ・リーフェンシュタールが監督したことで知られる史上最悪のプロパガンダ映画『意志の勝利』(1935年)と、『ボヘミアン・ラプソディ』には、共通する映像戦略がある。とはいえ、この2つの映画を並べることにはやはり違和感を覚える向きも多いだろう。

ファシストとロックスターにいったいどんな関係があるのかと。しかし、残念ながらファシズムとロックの距離はそれほど離れているわけではない。

思想史研究者の田中純は「ロックコンサートは、ある意味では「ファシズムの美学」の産物にほかなるまい」と述べている。

さらに田中は、リーフェンシュタールの「ファン」として知られるデヴィッド・ボウイが「一時期明確に政治体制としてのファシズムに共感を示していた」ことを指摘したうえで、そこに「ロックをめぐるイデオロギーに発する一定の理由」があることを看取している(『政治の美学――権力と表象』、東京大学出版会、2008年、8頁)。

クイーンに関連したところでは、彼らの楽曲(作詞・作曲はドラムのロジャー・テイラー)「レディオ・ガ・ガ」(1984年)のミュージック・ヴィデオの内容がファシズム的だという批判を受けたこともある。

この曲は『ボヘミアン・ラプソディ』でも演奏されており、クイーンと観客が一体となる映画のクライマックスの一部をなしている。

あるいは、フレディがオペラに強く惹かれていたことは(映画のタイトルにもなっている「ボヘミアン・ラプソディ」にはオペラ・パートが存在する)、ヒトラーがリヒャルト・ワーグナーの熱烈な愛好者であったことと奇妙に符合してしまう。

ただし、誤解のないようにあらかじめ断っておくと、筆者はそのことをもって『ボヘミアン・ラプソディ』を批判したいのではない。この問題は個別の作品を非難すれば足りるというような単純なものではないからだ。

いずれにせよ、まずは『意志の勝利』と『ボヘミアン・ラプソディ』に共通する戦略を洗い出してみよう。

先に述べたように、どちらの映画も作中に猫を登場させている。より正確な言い方をすれば、カリスマ的なスターを見つめる猫のまなざしを描き出している。これは決して瑣末な一致ではない。

『意志の勝利』で猫が登場するのは、映画の序盤である。この猫は、総統専用機から降り立ち、宿泊先のホテルへとオープンカーで向かうヒトラーをニュルンベルクの市民が熱烈歓迎するシーンに顔を出す。

ここにはすでに劇映画的な編集が施されている。この場面について、スティーヴン・バックは『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』のなかで次のように述べている。

ヒトラーの視点を示唆するかのように、大衆がかわるがわる画面に登場し、熱狂的に喝采しながら、腕を高く掲げたヒトラー式の敬礼をする。(中略)総統と目が合ったという設定で、彼らのまなざしには、秩序、規律、感謝に満ちた従属を通した喜びがあふれている。(『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』、野中邦子訳、清流出版、2009年、225頁)

そして、「窓辺にいる猫さえも目を上げて総統の行進を見送」(同書、225頁)るのである。

つまりリーフェンシュタールは、ヒトラーと大衆(女性や子どもの姿を恣意的に選択している点も見逃せない)のあいだであたかも視線の交換が行われているかのように映像を編集し、あまつさえそこに猫まで加えたのだ。

ナチの党員だけでなく一般市民たる女性や子ども、はては猫にまで好かれる人物が悪者であるはずがないとでも言わんばかりに。

問題は、これらの映像のなかには別の日に撮影されたと考えられるものが平気で含まれている点である。

ドイツ文学・文化史研究者の瀬川裕司は、そもそも「大声援による歓迎は、到着当日のパレードでは存在しなかったという歴史的事実」が明らかになっていると述べ、リーフェンシュタールが現実を作り変えたことを指摘している(『美の魔力――レニ・リーフェンシュタールの真実』、パンドラ、2001年、133頁)。

となると、この猫の瞳に本当にヒトラーの姿が映っていたかどうかはかなり疑わしい。

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