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「本当は恐ろしい儒教」孔子は名前を利用されただけ?

2019年04月17日 公開
2023年01月11日 更新

石平(評論家/拓殖大学客員教授)

石平(せきへい)

<<<<評論家の石平(せき・へい)氏は近著『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)にて、多くの日本人が常識だと考える「論語=儒教」に対して、疑問を呈している。

そんな石平氏が月刊誌「Voice 5月号」誌上にて、論語と儒教の関係性の曖昧さ、そして儒教のもつ恐ろしい側面について言及している。ここではその一節を同誌より紹介する。>>

※本稿は月刊誌「Voice」(2019年5月号)に掲載された『孔子は儒教の創始者ではない』より一部抜粋・編集したものです。>>

 

孔子は名前を利用されただけで、「論語=儒教」とは言えないのでは?

歴史上、儒教の影響が強かった中国や日本では、「孔子」と「儒教」との関係、『論語』と「儒教」の関係といえば、おそらく誰もが「孔子はすなわち儒教の始祖」「『論語』はすなわち儒教の経典」だと思うであろう。

「孔子・『論語』イコール儒教」というのは、東アジア世界における昔からの常識であり、社会的通念ともいうべきものである。

しかし歴史の真実ははたしてそうなのか。孔子は本当に儒教の始祖なのか。『論語』は儒教の経典であるのか。一般的常識や社会的通念に囚われず、よく調べて考えてみれば、じつは疑わしいところなのである。

孔子が生きたのは、中国・春秋時代の紀元前六世紀半ばから、五世紀前半である。国家的教学としての儒教が成立したのは、孔子の死から三百数十年も経った前漢王朝の武帝の時代である。

儒教の成立時期に関しては、たとえば世界大百科辞典第二版は「儒教」という項目について、「中国で前漢の武帝が董仲舒(とうちゅうじょ)の献策で儒家の教説を基礎に正統教学として固定し、以後、清末までの王朝支配の体制教学となった思想」と解説している。日本の学界もおおむね「儒教の成立は前漢時代」としている。

前漢に成立した儒教は、教学の基本経典として「五経」を制定して理論的体系をつくり上げたことはよく知られている。しかしここではまず、一つ不可思議なことがあるのである。

儒教が経典として定めたこの「五経」には、じつは孔子の思想や言動を詳しく記述した『論語』が入っていない。「五経」とはすなわち『詩経』『書経』『易経』『礼経』『春秋』の五つであるが、『論語』の姿はどこにもない。

そのことはどう考えてもおかしい。あたかもキリスト教の経典に、イエス・キリストの事績を記した『聖書』が含まれていないかのような話である。

その一方、前漢時代に成立した儒教は、「五経」の中の四つ、すなわち『詩経』『易経』『礼経』『春秋』は、孔子の手によって制作されたものか、あるいは孔子によって編纂されたものであると主張する。しかし、のちになって、中国と日本の両方で行なわれた学問的検証によって、ただの嘘であることがわかった。

孔子はこの四つの儒教経典を制作したこともなければ、編纂したこともない。孔子は『詩経』という古来の詩歌集を読んだことこそあるものの、それを編集したことはない。孔子は儒教経典の「五経」とはいっさい関係はない。

つまり前漢時代に成立した儒教は、孔子の『論語』を基本経典から排除した一方、孔子の名前だけを借りて、孔子とはいっさい関係のない「五経」をつくり上げた。

そのことからして、「孔子と論語はすなわち儒教」とはたしていえるのだろうか。孔子はただ、自分の没した数百年後に誕生した儒教によって、名前をうまく利用されただけのことではないのか。

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