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ノーベル賞経済学者が「日本とアメリカは似ている」と分析した理由

2019年11月29日 公開

柿埜真吾(かきのしんご:経済学者)

ミルトン・フリードマン

ノーベル経済学賞を受賞し、20世紀後半から21世紀初めにかけて世界に燦然たる輝きを放ったアメリカの経済学者ミルトン・フリードマン(1912-2006)。

この「巨匠」がじつは繰り返し日本に関する分析と発言を行なってきたことをご存知だろうか? 日本のバブル崩壊とデフレ不況を予見し、金融政策の誤りや貿易摩擦、構造問題を鋭く語ったフリードマンへの再評価が進んでいる。

日本のエコノミストから「市場原理主義者」のレッテルを貼られ誤解されがちなフリードマンの対日分析を行った書『ミルトン・フリードマンの日本経済論』。同書より、フリードマンが「日本特殊論」に真っ向から反論し、驚くべき先見性を発揮していたことを記した一節を紹介する。

※本稿は柿埜真吾著『フリードマンの日本経済論』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです

 

ローズ・フリードマン夫人「日本ではどの国よりもたくさん旅をした」

フリードマンが最初に日本を訪問したのは1955年のことである。インドへの船旅の途中、わずか1日の滞在だった。日本はフリードマンが訪れた最初のアジアの国となった。敗戦の痛手から立ち直りつつあったものの、当時の日本はまだ貧しい途上国にすぎなかった。

1963年、フリードマンは、世界の金融制度の研究のため1年間の研究休暇を取ったが、彼が重点的な研究対象に選んだ国は、ユーゴスラビア、イスラエル、ギリシャ、インド、そして、日本であった。高度経済成長を遂げた日本は、もはや貧しい農業国ではなくなっていた。フリードマン夫妻の日本滞在は2カ月以上にも及んだ。

これ以後、1988年に至るまでフリードマン夫妻は日本を何度も訪問することになる2。フリードマン夫妻は東京や大阪、京都だけでなく、倉敷のような地方都市にも足を延ばした。

日本の案内役を務めたのは、シカゴ大学で学び、フリードマンの自由主義思想のよき理解者であった西山千明・立教大学教授(当時)だった。ローズ・フリードマン夫人は「私たちは、日本では、私たちが訪れたどの国よりもたくさんの旅をしたものです」と回想している3。

1980年代には、米国でベストセラーとなったフリードマン夫妻の著書『選択の自由』が西山千明教授により翻訳され、日本でも一世を風靡した。

1982年から1986年にかけてフリードマンは、日銀の要請に応じ日銀金融研究所の初代顧問に就任しており、『貨幣の悪戯』(Friedman 1992)の終章は日銀金融研究所での講演が元となっている。

1962年に出版された『資本主義と自由』(Friedman 1962)では、日本への言及は3カ所(5ページ)にすぎないが、1980年の『選択の自由』(M.Friedman and R.Friedman 1980)では、日本への言及は22カ所(計32ページ)と飛躍的に増えている(円に対する言及〈重複を除く〉も含めると24カ所、計34ページ)。

日本が取り上げられる回数は米国、英国に次いで多い。フリードマンは、とりわけ明治時代の日本の経済発展(自由貿易の成功例)と、1970年代の日本の金融政策(インフレの沈静化の成功例)に詳しく触れている。

当時の多くの経済学者同様、フリードマンも日本経済の急成長に対して高い関心を持っていたことがわかる。

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