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ゾンビ映画から考える、パンデミックへの向き合い方

2020年07月12日 公開

谷口功一(東京都立大学法学部教授)

「人類が希望を棄てるには早すぎる」

もう1点、国際機関や国内の官僚制に関してもドレズナーは興味深いことを記している。

そこでは「一方的に自分の主張する政策を売り歩くような、官僚の皮を被った起業家たちが、解決策ではなく問題を探そうとする」とした上で、官僚組織の生理である標準作業手続の存在こそが、ゾンビ発生に対して混乱を惹起することが述べられている。

ジョージ・A・ロメロのゾンビ処女作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のなかで当局から人びとに出される指示が、最初は「家に居ろ(STAY HOME)」だったのが、何の説明もなく「緊急避難センターへ行け」というものに変わったりしたのが、そのような混乱の典型として挙げられている(東京アラート?)。

行政機関は、最初のうちは制約を受けることなく行動することができるが、時間の経過とともに「政治」がそれに対して強力な制約を課すこととなる。ただし、官僚制による事態への対応能力は時間の経過とともに改善されるのだが。

要するに、政府の諸官庁は、悪しき意思決定を行なう可能性が最も高いときに、最も高い自律性を有することになってしまうわけである。

本書のなかでドレズナーがゾンビ禍と闘う際の心得として提唱するのは、政府と国際機関が迅速かつ効果的に、ゾンビに対処するための「新しいノーマル」が何であるのかを人びとに対して明らかにして(新しい生活様式?)パニックを未然に防ぎ、人びとをナッジ(そっと後押し)するような仕組みの構築なのである。

以上のような話をコロナ禍の下、Zoomで行なわれるゼミで学生たちと読んでいるわけだが、訳者である私自身、8年前にこの本を翻訳した際とはまったく別の本、禍々しい予言書を読んでいるような不思議な心持ちで毎週ゼミの準備をしている昨今である。

コロナ禍の発生を受けて、4月11日にドレズナーは「コロナについてゾンビ映画から学んだこと」という文章をウェブ上の『フォーリン・ポリシー』誌に発表した(*2)。

そのなかで彼は、ほとんどすべてのゾンビ映画のなかで人間は愚かで哀れな存在として描かれ、最終的にはゾンビ・アポカリプスのなかに呑み込まれ文明は崩壊してしまうが、先述のブルックスの傑作ゾンビ小説『WWZ』のなかでも活写されたように、初期には動作不良を起こす官僚組織も、時間はかかるがじきに事態を掌握するはずだと論じ、人類が希望を棄てるには早すぎる、と強調している。

同時に、医療関係者やゴミ回収業者・電気事業者などのインフラ維持に従事する人びとに感謝しよう、とドレズナーは呼びかける。

だいたい、ウェブ上のドレズナーの文章を読めるのは、ゾンビ映画のように通信が完全に断絶した状態ではなく「こうやってネットを見ることができているからこそだろう」と皮肉も交えながら、あるいはAmazonやZoomは多少は邪悪かもしれないが、アンブレラ社(バイオハザードシリーズに登場する架空の企業)とは比べものにならないだろう、とも。

 

【*1】桑の樹を指さして槐(えんじゅ)の樹を罵る。樹木の格としては「槐>桑」であるところ、格下のもの(桑)をことさらに批判することを通じて間接的に格上のもの(槐)を批判し、人びとの心を動かそうという計略。
【*2】なお、本稿の冒頭は文中で言及したドレズナーの近稿(実際に読むと割と感動的)へのオマージュだが、すでに翻訳し終わっているので、近日中に別途公開する。

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