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「あいつの態度が嫌だ」定年間近に文句ばかり言う社員の“迷惑な執着心”

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2023年01月27日 公開 2024年12月16日 更新

物事に執着する"執着性格"の人は、周囲からの称賛を期待し、そして強く執着し、どこまでも成果を追い求めてエネルギーを消耗していきます。執着性格の人の思考、そして彼らが抱える怒りについて、早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏が解説します。

※本稿は、加藤諦三著『だれとも打ち解けられない人』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

人は執着でエネルギーを消耗する

物事に執着する人は疲れる。ある人が、その人としてはかなり高級なマンションを借りた。ところが、そのマンションの管理人の態度が悪い。そこで腹が立って仕方がない。

しかし、そこのマンションを出たくないものだから管理人に強く言えない。その人はその高級マンションに住むことに執着している。そこで、その人は高級マンションに住みながらも疲れた。

しかしあるとき、「こんなマンション、いつ出てもいいや」とそのマンションへの執着を捨てたら、疲れなくなった。

「こんなマンション、いつ出てもいいや」と思えるときには、その人にエネルギーがある。何かあったときに、うまく切り抜けようと思うとおかしくなる。うまく切り抜けようと思うから悩む。うまくやることに執着するから、ストレスに苦しむ。

なぜなら、物事はうまくはいかない。うまくいかなくて当たり前。水がコップいっぱいに入っている。水をこぼしてはいけないと思う。水がいっぱいということに執着すればするほど、人は疲れる。真剣になればなるほど、ほころびが気になる。

人はそれに執着するから、それを失うことを恐れる。執着性格者は、自分で自分が生きることをつらくしている。自分で墓穴を掘っている。

「あの人に、これだけのことをしてあげたのに、この態度は何だ」と悔しい気持ちになる。「これだけのことをしてあげたのだから、こういう態度をしてほしい」と願う。相手の態度に執着すればするほど、悔しくなる。

定年間近でストレスで倒れた人がいた。それは「あいつにあれだけのことをしてあげたのに、オレが定年になるときの、あの態度は何だ」という怒りからである。定年になるときに、相手は自分のことを素晴らしいビジネスパーソンと尊敬してくれなかった。

かつての心ない部下に心理的にとらわれていればいるほど、定年間際にはつらい思いをする。冷たい部下を心の中で捨てられるか、執着するかで、生きるか死ぬかの違いが出てくる。

そのときに心のやさしい人に囲まれていれば、冷たい部下のことは捨てられる。しかし、やさしい人に囲まれていないと、どうしても過去の冷たい部下に心がとらわれてしまう。

自分は「これだけやったいい人」という気持ちがある。それなのに、見返りがなかったということで悔しい。期待していたそれをくれないから悔しいのである。期待していたそれに対する執着が強ければ強いほど悔しい。

自分が会社で働いて、会社はこれだけ得ていると思えば、それに報いてくれない会社が悔しい。くれるだろうと期待したものに対する執着が強ければ強いほど悔しい。その悔しい気持ちでエネルギーを消耗する。つまり、人は執着でエネルギーを消耗する。

 

今のための今の生き方

執着性格者には、過去を振り返って、自分の意志で歩いた自分の道がない。だからこそ、今まで歩いた道に執着する。途中がだから、何もなかったから、歩いた距離に執着する。過程が空だから、成果に執着する。

自分の意志で歩いていれば、歩いた満足感はある。達成感もある。充実感もある。だから歩いた道の成果に執着しない。歩いてきた道を失うことを恐れない。

執着性格者は、振り返ったらつかんだものが何もない。足跡がない。ポイントがない。自分の「心の家」がない。確実なものを何もつかんでいないから、表面的に得たものに執着する。

執着性格者は、だれかに操られるロボットのように歩いてきたので、どの道を歩いてきたのかわからない。そして疲れ果てた。そうなると、今、大きな刺激がほしい。今、大金がほしい。

過去が虚しいから、その過去を埋め合わせようとする。過去が虚像。その過去の埋め合わせ方が、また間違ってしまう。あくまでも仕事の業績や利益で埋めようとする。

心のふれ合いというコミュニケーションをすることを考えない。努力をしていても、人とコミュニケーションするためにはどうするかという視点はない。

あくまでも、業績や利益で虚しさを充足しようとする。だから最後には、努力が実を結ばない。過去の不満を満たすための今。そうして生きていると、振り返った過去がずーっと虚しい。今のための今がない生き方。

執着性格者は、地べたに座ってしまって、「あっちに行きたい」と言う子どもみたいなものである。れんげ畑に行きたい。でもタンポポがいっぱいあるあっちにも行きたい。欲張って疲れる。

欲は執着を生み、執着は焦りを生む。執着によって失うものは大きい。失うものは心の安らぎ。せっかちは不安なため。早く確実なものがほしい。だから焦る。

「まず、れんげ畑に行きましょう。そしたら、あとは教えてあげる」と言う指導者が必要なのであろう。執着性格者は行く道さえわかればいいのだ。

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なぜ「ダメに決まっている」と言うのか

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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