嫌われる人が属するグループが、皆同じ雰囲気に見えるのはなぜか。それは、“劣等感”を持った嫌われる人が、同じ劣等感を持つグループに入ることで、他の誰かを一緒に嘲笑し、自分の傷を癒そうとするためである。このように加藤諦三氏は語る。
同氏の著書『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』では、嫌われてしまう人のパターンを詳しく分析している。彼らの共通点、負い続ける苦しみとは、一体どういったものなのか。
本稿は、加藤諦三(著)『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』(PHP研究所)の内容を、一部抜粋・編集したものです。
虚勢を張る人は虚勢を張っている人同士で結びつく
嫌われる人というのは、心の底で自信がないのに自信のある「ふり」をする人だと言われる。一口で言えば、虚勢を張って生きている人であろう。
虚勢を張る人というのは、まだ子供の頃の甘えの欲求が満たされていない人なのである。他人の注目を集めたくてしかたのない人であり、他人から特別に扱ってもらいたくてしかたのない人なのである。
虚勢を張っている人が成長するのに本当に必要な人というのは、「あなたはそんなに虚勢を張らなくても、ありのままの姿で十分に魅力的ですよ」と言って、その人を受け入れてくれる人である。
しかし、虚勢を張っている人は、むしろそうした人を避ける。虚勢を張っている人同士で結びつくことがある。
そんな場合、お互いに傷つけ合っているところがある。しかし、お互いに自分の虚栄心を満たすところがあるので、心の底のどこかで憎み合いながらも、関係をつづける。
お互いに心の底の底ではウソをつき合っていることが分かっている。しかし、それを敢えて意識しない。自分の情緒の成熟にとって本当に必要な人を見分けることは案外むずかしい。だからこそ、人々は時に自分を傷つける人を友人にしたり、恋人にしたりする。
「無価値感」を高める環境を自らつくってしまう
自己実現している人は、他人の劣っているところにやさしい眼を向ける。決して悪意を持って他人を傷つけるというようなことをしない。他人を嘲笑するようなことは決してない。
それに対して、劣等感を持った人達のグループに入っていれば、悪意を持って他人の劣っているところを嘲笑して、その人を傷つけるということもできる。そのように他人を傷つけることで、自分の傷をいやそうとすることもできる。
それだけに、欠乏に動機づけられた人、甘えている人、自分で自分を拒否した人、劣等感の強い人は、自己実現した人のところには行かないのである。そして、自分をさらに傷つける人のところに行ってしまう。
幼稚で甘えている人にとっては、依存心の強い人達の「わざとらしい」言動がまた魅力的に映ってしまうのである。心の底の自己無価値感を一時的にいやしてくれるからである。これらのことは麻薬と同じことで、その人の自己無価値感をさらに深めるだけなのである。
劣等感があったり、ナルシシズムに深くおかされているような人は、どうでもいいようなことを、さも人間についての大問題のようにとりあつかう。
どうってことないことをしたことで、あたかも偉人であるかのごとく振舞ったりするのは、やはり自己無価値感の苦しみを何とか逃れようとしているからである。
他の人々からみれば、「あの人達、自分達だけで得意になっている」ということになるのだけど、本人達はそのようなことで自分を救おうとしているのである。