2月22日は「猫の日」! 今回は『必死すぎるネコ』シリーズで大人気の猫写真家・沖昌之さんと、占星術研究家・鏡リュウジさんのスペシャル対談をお届けします。
長年にわたり、地域猫を中心に写真を撮り続ける沖さんと猫とのご縁を、鏡さんが翻訳・監修した『月と太陽でわかる性格事典 増補改訂版』と共に楽しく紐解いていきます。
本稿では、沖昌之さんが猫写真家になった経緯や、猫たちへの思い。そして、鏡リュウジさんが「占星術の叡智」について語ります。
※撮影:寺田須美、取材・文:金澤英恵
※猫の写真:沖昌之(『必死すぎるネコ』より)
突然の辞表、その日のうちに「猫写真家の沖です」メールを送付
――沖さんはある日突然思い立って、会社に辞表を出されたそうですね。そこから猫写真家として歩むことになったと。
【沖】2015年の4月でしたね。僕はめちゃめちゃ"すねかじり"なタイプなので、会社を辞めることは絶対にないだろうって思ってたんです。独立なんて考えたこともなかったですし。
でも、前職の婦人服販売の仕事では上司としょっちゅう喧嘩していて。1つの目標に向かって仕事しているはずなのに、なぜか足を引っ張り合ってしまう。
ある日、このままここにいても上手くいくことはないだろうと悟って、備品のA4コピー用紙を1枚持ち出し、ネットの見よう見まねで初めて「辞表」を作って、その足で社長に渡しにいったんです。
【鏡】 それは沖さんがいくつの時ですか? そこからすぐ猫写真家に?
【沖】37歳の時ですね。辞表を出して「とりあえず寝よ!」って3〜4時間寝たんですけど、目を覚ましても世界は何も変わっていなかった。当たり前なんですけどね。
次の仕事のアテもないしこれはやばいことしたぞと焦った時に、「猫写真家」になろうと思いついたんです。
「ぶさにゃん先輩。」と出会って以来、猫写真だけは好きで撮り溜めていたので、その日のうちにブログを立ち上げ、名刺も発注して、いろんな出版社に「はじめまして、猫写真家の沖です」っていうよくわからないメールを送っていました。
「自分に戻ってこられる」周期がある?
【鏡】まさに「背水の陣」ですね。そうした転機を占星術で見ると、突発的でパーソナルな要因のものもあれば、そうした転機がやってきやすい年齢というのもあるんです。
いわゆる厄年みたいなものですが、それは不思議に大きな惑星のサイクルと合致しています。退職した年齢をお聞きしたのは、もしかして...と思いまして。例えば、健康酒のコマーシャルでも「女性は7の倍数、男性は8の倍数の年齢の時に、体調に変わり目が訪れる」と言っています。
『月と太陽でわかる性格事典』にもあるように、太陽と月は重要な天体ですが、この2つが誕生日に出生時の位置にそろって戻ってくるのが19年ごと。なので、19歳、38歳、57歳とか、19の倍数の年齢の時期は、自分が持っていた本来のパーソナリティに戻ってこられる時期とされているんです。
沖さんの場合、37歳で会社を退職。でも、星のサイクルで見ると「自分はこういうことをやりたかった!」と実感できたのは、もしかすると38歳のときだったかもしれません。
【沖】ああ、38歳は一番キツかった時期ですね。2015年4月に会社を辞めて、先輩の写真展に参加させてもらって、そこでトントン拍子で12月に写真集も出版させていただいて。いいスタートを切れたなと思ったものの、先輩たちの写真集は重版がかかるのに、自分の本はかからない。そんなこんなでもがいていたのが、38歳でした。
【鏡】重版してもらえるのはなかなか大変ですよ。僕も本を出しているのでよく知っていますが(笑)。
【沖】そうなんですよね(笑)。でも、当時はできると思っていたので、自分は大したことないんだなと真剣に悩んでしまって。そんな時、猫専門誌『猫びより』で「必死すぎるネコ」の連載が決まりました。
そして同じころ、誰かに「梅佳代さんの写真に似てますね」と言っていただいたんです。梅佳代さんって、人間の面白い瞬間を撮る素晴らしい写真家さんなんですけど、恐縮ながら似てると言われるなら、梅佳代さんの写真集作りに携わった人に、自分の本も作ってもらいたい、と。
そう考えて、デザイナーの山下リサさんに写真集のアートディレクションを依頼したんです。そうして完成したのが写真集『必死すぎるネコ』でした。それが39歳の時。37歳で独立、38歳で自分の方向性を見つけた、というのはまさに鏡さんがおっしゃった通りかもしれません。