作家の岸田奈美さんは、ダウン症を抱える弟、認知症を発症した祖母、そして大病を克服後から車椅子生活となった母との四人家族。中学生のときに父が急逝、奈美さんは「私が一家の大黒柱にならなければ」と大学時代から学業と仕事を両立しながら、孤軍奮闘してきました。
やがて、笑い飛ばすしかないほどの痛みや悲しみ、抱きしめたくなるやさしさなど、岸田さんを取り巻く悲喜こもごもを、インターネット上で記事コンテンツを手軽に掲載できる"note"で発信し始めます。
つらく悲しい場面であってもどこか温かさを感じる文章に、自身を重ね合わせて、泣き笑いしながら読んだという方も多いのではないでしょうか。
2023年春、新たなエッセイ本『飽きっぽいから、愛っぽい』(講談社)を上梓した岸田さんに、今も強く存在し続ける父そして共に生きてきた家族へ、想いの現在地をうかがいしました。〈取材・文=柴山ミカ、イラスト=セコリ〉
「酒もタバコもやらん代わりに朝食を豪華にして」
私にとって亡き父が憧れであり続けた理由のひとつが、母が父の悪口を一切言わない人だったからでした。もし子どもに愚痴をいう人だったら、家族の形も随分違っていたと思います。
まあ実際は、喧嘩も文句もいろいろあったようですが、あれこれ知ったのも私が大人になってから。今は、母と昔話を思い出しては、一緒に笑えるようになりました。
父は憧れの存在でしたが、一方、理解に苦しむ行動も山ほどあって.....よくいえばミステリアスな感じでしょうか(笑) 「夕食がカレーのときは必ず昼までに連絡をしろ」(昼食にカレー系を食べてダブるのが絶対にいやだという妙なこだわり)とか、喧嘩の勢いで「主婦がうらやましいわ〜、家におって。俺もやってみたいわ」と口走るとか、いま思えば「オイオイ、おとん!」っていう逸話もたくさん。
温厚な母も「ほんま毒盛ったろか!」と2、3回は思ったらしいです(笑) それでも、外食嫌いの父のため、母は日々楽しそうにおいしい食事を用意していました。もともとは、「酒もタバコもやらん代わりに朝食を豪華にして」っていう、父のまた訳のわからん要望なんですけど、それに母は、早朝から「旅館かっ!」ていうほど小鉢をいくつも並べて応えていましたね。なんだかんだ好きなんですよ。
父はお茶目で憎めないタイプ、私もそこが好きでした。母との初ドライブでは、当時まだ高価だったパワーウインドウに見せかけるため、涼しい顔をしながら、手先だけで必死にクルクル回して窓を開けていたとか(笑)。そんな猛アタックの末、おとんはおかんを射止めたらしいです。
対する母も「パワーウインドウや!すごいなあ!」って、父の一発ギャグみたいなノリにきっちり付き合える人。常にやさしく肯定し、しょうもない話にも間髪入れずに笑ってくれる、ふんわりした真綿の笑い袋のような母もすごいなあって思います。
あれが父なりの愛し方だった
父は私に、行き先も告げず連れ出しては「これがええねん!」と好きな建築やインテリアを見せてくれました。まだ小さくてよくわからなかったものの、「強引やな」と同じくらい「おもろいな」とも感じていた気がします。
実際に体験することで、自分なりに感じとって欲しかった....知見を広げる機会をあれこれ与えることで、大人になってからの道しるべを残していてくれていたんだなって。あれが父なりの愛し方だったって、今なら思えます。
わからないってことを歯がゆく思ったのは、「これをいいと思っている父をわかりたい」って思いがあったから。ようやく「父はあのとき、こう考えていたのかも」って想像できる気がするのは、やっぱり私と父が似ているからなんですね。
だから、父は憧れだけど理想の男性像とは違う。特有のユーモアや、母や家族を大切に思う父の愛を丸ごと引き継いでいきたいのかも。父のような男性を求めていたのではなく、人として父のようでありたい、そして、母のようなパートナーにめぐりあいたいって、ようやく答え合わせができたような気がします。ただ、家庭の作り方においては、真似してはいけないことはたくさんありますが(笑)。