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生き方

「失敗するのが怖い人」が過ごしてきた従順な幼少期

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2023年07月25日 公開 2023年07月26日 更新

「失敗して笑われるのがこわい」、「職場の嫌な人に心が囚われてしまう」など、他人からの目線ばかりを気にしてしまう人がいます。一体その原因はどこにあるのでしょうか? 

心理学者の加藤諦三さんが、「先哲の言葉」が持つ意味をひもときながら、「人の目を気にせず生きる」方法を語ります。

※本稿は加藤諦三著『ブレない心のつくり方』(PHP文庫)より一部抜粋・編集したものです。

 

人間の成長は、不服従から始まる

自分の願望を回復するためには、ささいなことであっても、他人の願望に迎合してものごとを決断しないことが必要である。

成長出来ない人は、嫌いな相手に「君が嫌いだ」と言うことがなかった。でも、「君が嫌いだ」と言っても、自分の命に関わるわけではないと理解出来れば成長出来る。それが幸せな人の持っている、良い人間関係観である。

成長出来ない人は、「これを自分にくれ」ということが想像出来ない世界に住んでいた。「これを自分にくれ」ということが許されない世界で成長してきた。そんなことが頭に浮かばない世界で生きてきた。

でも、「これを自分にくれ」といっても、拒絶されない世界があることを理解出来れば成長できる。単純にいえば、「ありがとう」と素直にいえる人間関係を築く努力をすることである。

成長するのを怖れて退行欲求に従う人は、成長することは、今持っているものを失うことだと思っている。しかし成長することは失うことではなく、新しいものを得ることなのである。

このことについて、フロムは「新しい調和」という言葉を使っている。(註1)

権威主義的な親から自立することは、想像以上に困難なことである。フロムは、「人間の歴史は不服従によって始まった」という。(註2)

実は、人間の成長は親への不服従によって始まる。それが自我の確立のスタートである。母親との原始的なつながりを断つことから始まる。そこから独立と自由へスタートする。(註3)

人間の自立は、孤独に対する恐怖感から始まる。それに耐えられる者だけが自立出来る。その恐怖感の激しさはその人の運命によって違う。

親が愛情に満ちていれば、子どもは自立に向かって励まされる。励まされて、励まされて成長する人もいれば、脅されて、脅されて成長する人もいる。

権威主義的な親のもとで成長する人は、なぜそんなに成長することが大変なのか。

それは、親の脅しは追放の脅しだからである。親に従わないことで、一人になる勇気を持たなければならないからである。

孤独への恐怖感には普通の子どもは耐えられない。親の不当な権力に従うことで、保護を得る方が安全であると考えてしまう。

自立するためには、親の不当な権力に従わないことで、一人になってもいいという勇気を持たなければならない。

しかし勇気は自立出来た者だけが持つ力である。勇気は成長した者だけが持つ力である。成長するためには勇気がなければならないし、勇気を持つためには成長していなければならない。成長する者には、この矛盾を突破することが求められる。

 

自立した人になるための「人生を賭けた戦い」

勇気のあるなしは、その人の心理的な発展の程度による。(註4)

その人の自我の確立度合い、情緒的成熟によって勇気は違ってくる。勇気を持つためには自我の確立が必要であるが、自我の確立のためには勇気が必要である。

アメリカのある心理学の教科書(註5)に、Carl Rogersの説の説明が出ているが、そこに次のような文章がある。

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私たちが最も自己実現出来るのは、自分に自信がある時である。自我価値の剝奪に怯えていない時である。(註6)
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自己実現出来なければ、真の自信は持てない。しかし真の自信がなければ自己実現出来ない。先に書いた原矛盾である。

昭和40年代頃に、『青年は荒野をめざす』という歌が流行った。その少し後、私は30代の時に、『幸福に別れを告げよ』(1975年、大和書房)というタイトルの本を書いた。どちらも、「自立」をテーマにしたものだ。

しかし、流行に踊らされて、安易に「自立したい、幸せになりたい」というのは、しかるべき訓練も節制もせずに、オリンピックのマラソンで優勝したいというようなものである。

ことに権威主義的な親のもとで成長した人は、ここで「生きるか死ぬか」の戦いをしなければならないといっても過言ではない。

自立を願う者は、生きて帰らぬ覚悟を決めて、荒野をめざさなければならない。それだけの覚悟がなければ自立は出来ない。それだけの覚悟がなければ、幸せになれない。

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国の権威であれ、家族内の権威であれ、それと戦うことは、自立した人間になるための土台である。(註7)
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戦う以上、死ぬのは覚悟のうえである。権威主義的な親は子どもの心理的な自立を許さない。それは、親自身が心理的に子どもに依存しているからである。子どもが自立したら、親は心の支えを失ってしまう。

しかし、「自由と不服従は、不可分である」。(註8)

甘えようとしたら母親から体罰を受けた。こうして母親に甘えられなかった者は一生不機嫌であろう。大人になって弱い者に暴力を振るう人になるかもしれない。

甘えようとしたら、母親に無視された。大人になって底意地の悪い人になるかもしれない。甘えようとしたら、母親から熱いカップを肌に押しつけられた。大人になって臆病になるかもしれない。

それが人間の自然であろう。

「それにもかかわらず」、成長する。それが真の勇者である。自立を望むなら、千万人といえども我行かん、千里の道を我は行く、その覚悟が必要である。

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「人に見せるための生き方」はおやめなさい

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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