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生き方

「私はつらい」と周囲に漏らす人が、絶対に表に出さない本音

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年11月23日 公開 2023年07月26日 更新

社会的にも肉体的にも厳しい環境の中でも明るく生きている人がいる。逆に恵まれている環境の中でいつも自分の不幸を嘆いている人がいる。

そうした"いつも嘆いている人"は、周囲の人からの愛の行動を求めていると早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は指摘する。

加藤氏は著書『悩まずにはいられない人』の中で、彼らの嘆きの原因に満たされない"ある欲求"があると語る。その欲求とは何か。

※本稿は、加藤諦三 著『悩まずにはいられない人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

いつも嘆いてる人は相手の出方をうかがっている

自分のつらさを延々と訴えて周囲を非難している人は、周囲の人が自分に対して愛の行動を起こすことを求めている。

延々と「つらい、つらい」と訴えている。しかし、自分は何も解決のための努力をしない。「つらい、つらい」と言って相手の出方を待っている。

決して自分のほうから周囲の人に直接「こうしてくれ」とは頼まない。

なぜ素直に周囲の人に「助けてください」と言えないのか?

攻撃している相手に頼むわけにはいかない。相手に敵意を持っているが、同時に助けを求めている。この矛盾が素直さの障害になっている。

子どもが意地悪された子のところに「遊んで!」と行けない。意地悪された子のところに「遊んで!」と行くのは悔しい。

いつも嘆いている人は、周囲の人に憎しみを持っているから周囲の人に「助けて」と言えない。

いつも嘆いている人はつねに「私は正しい」と主張している。悪いのは周囲の人であると主張している。

これは自分のつらさを訴える人の決まったやり口である。自分だけがつらい。自分だけが正しい。そして周囲の人が同情し、自分を救うことを要求している。

「私はつらい」と言うことで、周囲の人に義務を課している。こちらの依頼で助けるのではなく、相手の義務でこちらを助けることを要求する。

うつ病になるような人は、幼児的願望が満足されていない。だから、悩んでいる人は悔しいことがいっぱいある。

憎しみの対象から愛されたいという矛盾を持っている。しかしそれは無理。したがって、どうしても感情が吐けない。

うつ病になるような人は、その憎しみを表現できないままどうにもならなくなっている。

憎しみを持つ相手から愛を求めているから動くことができない。そうなれば、嘆いて苦しんでいる以外に感情表現の方法はなくなる。

とにかく周囲の人への憎しみを意識できなかったり、意識しても表現できなかったりする。その結果、さまざまな間接的表現となって日常生活に表れてくる。

うつ病になるような人は、不当に押しつけられた負担に抗議ができない。嫌われるのが怖いから抗議できない。角が立つのがいやだから抗議できない。その結果、心の底で周囲に恨みを持つ。

フロム・ライヒマンがいうようにうつ病者は愛を求めている。これをすれば、愛をくれるだろう、これに耐えれば愛をくれるだろう、と子どもは親に尽くし続けた。

悪い男に引っかかった女性と同じである。その女性は愛を求めているから、男のいうなりになる。恋に落ちた女は悪い男から搾取され続ける。

恋愛も親子関係も同じである。愛を求めている側が弱い立場になる。

「これをすれば『良い子』と言ってあげる」ということで、子どもは自分を曲げてがんばり続ける。こうなれば愛してあげるということで、子どもは親にとって都合の良い子どもになる。こうして自分であることをあきらめた。

自分でない自分になることを強制された。つまり、愛がほしくて自分でない自分になる。こうして人は自己憎悪に悩まされるようになる。

うつ病者の自己憎悪の激しさは、じつは周囲の人への憎悪の激しさである。

「苛酷な自己批判や残虐な自己蔑視などは、根本的には対象に向けられたものであり、対象への復讐を表しているということはうつ病の分析から得られるとフロイドは指摘するが、そのとおりである」。

人生を切り拓くためには、まず「自分のコミュニケーション能力を破壊した人は誰だ」と考えることである。

 

すべて欠けているもののせいにしている

いつも嘆いている人は現実と触れていない。自分の心の葛藤が解決するように現実を解釈する。複雑な人生の出来事を、いくつかの限られたステレオタイプの考えで解釈する。

生きがいとは積み重ねである。一つ一つの問題を解決することで、人生に意味がでてくる。

いつも嘆いている人は、十年経っても同じことを言っている。そして「これさえあればきっと幸せになれる」と思う。

自分の欠けているものが、不幸の原因だと思っている。だから「欠けているものを埋めたい。そして幸せになりたい」と思う。

すべてが満ち足りていることが「幸せになれるのだ」と思う。単なる思い違いではない。その解釈に固執する。

自分の容姿に自信のない人は、恋人ができない原因をすべて容姿のせいにして「美人になれば幸せになる」と思い込んでしまう。

うつ病者は、自分に欠けているものを「自分の幸福の本質である」と考える、とアーロン・ベックはいう。そう考えれば幸福になる努力をしなくてもいい。

まさにうつ病は、オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルのいうごとく「生の引き潮」である。

生きるエネルギーがないから不幸なのに、「これがないから不幸」と言っている。不幸の身代わりを「これがない」ことにしている。

オーストリアの精神科医ベラン・ウルフのいうノイローゼの特徴である「身代わりになるもの」が「欠けているもの」である。

もともと人間は完全ではない。欠けているものを補って工夫していくことに、生きる意味も出てくる。

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いつも悪口や嘆いている人の本当の感情

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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