ウンコの味はリンゴジャム!?
こんなことを書くと、読者の中にはきっと、
「ウンコを嬉々として拾うだなんて、どんだけ変態なんだよ」とツッコミを入れたくなる人もいることだろう。だが、クマのウンコというのは見た目こそ直径約10cmとクソでかいが、意外なことに悪いニオイはあまりないのだ。いわば粘土の塊みたいなものなのである。
クマのウンコからはいわゆるウンコ臭さよりも、食べた物のにおいがする。特にツキノワグマは雑食とはいえ、ほとんど植物を食べているため、桜の花や実を食べたあとに出たウンコは桜餅のようなにおいがするし、植物の葉を食べたときのウンコは、お茶の葉のようなにおいがするのだ。
どちらかといえばいい香りがすることもある。サルナシに至ってはそのまま出てきてキウイフルーツのにおいがする。ドングリを食べた場合は、粘土質のずっしりとした質感になる。
岩手県のツキノワグマはリンゴ園のリンゴを食べることがある。現地でクマを研究している人とこんな話をしたことがある。
「リンゴを食べたあとに出るウンコは、見た目も香りもリンゴジャムそのものなんですよね。なめたらジャムの味がするのではないかなと思って......」
「食べたの?」
「はい、食べました」
「まじで!? ジャムの味した?」
ところが残念ながら、見かけ倒しでほとんど味がなく、ジャムにはほど遠かったそうだ。
昆虫少年から野生動物研究へ
今ではクマ研究者となった私だが、別に昔からクマが好きだったわけではない。そもそも、私は昆虫少年だったのだ。多くの子どもが昆虫を好きになるものだが、ほとんどは小学生で卒業してしまう。
私は高校生になっても細々と昆虫採集を続けていて、昆虫やそれを取り巻く森という環境に興味を持つようになっていた。
そういうわけで、大学では森の野生動物について学びたいと考えていたのだが、今のようにインターネットが普及しているわけではなかったので、どこの大学に行けばそれを学べるのかはまったく見当がつかなかった。そこで当時教育実習に来ていた先生に、
「野生動物について学ぶにはどこの大学に行けばいいんですか?」と聞いてみた。それで、その実習生からもらった大学リストの中に東京農工大学があり、そこに進学することになったのである。
大学では、森の野生動物を研究している古林賢恒先生が、調査に連れていってくれる自主ゼミを開いていた。これは私にとって専門家と一緒に山に入れるまたとないチャンスだった。
それで、1年生のころから古林先生の研究室に出入りして時折調査に参加していたのだった。その縁もあり、3年生になって迷わず先生の研究室に入った。
富士山の周りに「緑の回廊」を
私は高校時代からずっと「緑の回廊」に興味があった。私が中高生だったころは環境問題に関するニュースをしょっちゅうテレビで見るようになった時期だった。ただほとんどが海外の話ばかりで、日本の環境問題や野生動物の問題はあまりニュースにならなかった。
そんなある日、「森林をつなぎ、生物の生活圏拡大 富士山麓に『緑の回廊』」という見出しを新聞で見つけた。
日本でも乱開発で森林が寸断され、野生動物の生息域が狭められて絶滅の危機に陥っていること、その森同士を新たに森でつなぐことで、それぞれの森に住む動物たちの生活圏を広げて交流できるようにする計画が富士山周辺で進められていることが書かれていた。
緑の回廊では、緑地と緑地を森でつなぐだけでなく、大きな道路や鉄道などの上に動物のための高架橋を掛けることもある。こうすれば森に住む動物たちが人間に遭遇することも交通事故に遭うこともなく、自由に遠くまで行けるようになるので、生態系の豊かさを保つことができるというわけだ。
日本にも野生動物の問題があること、それを解決するための計画が動いていること、どちらも私には大きな驚きだった。
だからといって何か具体的なビジョンがあるとか、積極的にリサーチを進めていたとかいうわけではない。ただ先生に今後研究したいことを聞かれて、
「僕、緑の回廊に興味あるんですよね」
「緑の回廊?」
「あ、あの野生動物のために富士山の周りに作る計画があるってやつです!」
などとめちゃくちゃ漠然と希望を伝えた。
自分も教員になってわかる。こんなふうにフワフワとした志望が一番扱いづらいし、どうしてやればいいのか悩むんだよ。
しかし、そこはさすが古林先生。すぐさま野生動物保護管理事務所という民間の会社を紹介してくれた。
野人のような学生がほしい!
その会社の社長の羽澄俊裕さんも農工大の出身者であり、古林先生とは古い付き合いがあったのだが、ちょうど山梨県でクマの調査を始めることになったので、学生を調査の担い手として派遣してほしいという依頼があったところだったのだ。
実はその調査というのが、まさに私が高校時代に新聞で読んだ富士山麓に緑の回廊を作るために、その地域のクマの生態を調べるためのものだった。
「緑の回廊のデザインをするのなら、まずそれを利用する野生動物のことを知らなければいけない。小池君はこの会社と一緒にクマの調査をやったらどうだ」
そう先生にいわれ、私が派遣されることになった。
クマのことは何も知らなかったが、担当教授の鶴の一声でクマの研究をすることになった。呆れるほど受け身ないきさつだが、これが私のクマ研究との出会いである。
しかし、古林先生はどうやら緑の回廊への興味だけで、私を推薦したわけではなかったらしい。あとで知ったが、羽澄さんの希望は、
「ワンゲルか山岳部あたりで鍛えられていて、野人みたいに山地や藪を駆け回れるようなタフな学生を寄越してほしい」ということだったようだ。
確かに、あのころの私は若くて丈夫で、何よりサークル活動で野山を歩き慣れていた。先生にとっても渡りに舟だったのだろう。