産卵場の謎
世界のウナギ産卵場研究は、20世紀初頭(1904年)、デンマークのヨハネス・シュミット(Johannes Schmidt)博士によって大西洋で始められた。しかし正確に言うと、初期の調査はもっぱら地中海で行われている。当時、ヨーロッパウナギの産卵場は地中海にあるというのが定説だったからだ。
それはイタリアのグラッシィ(Grassi)とカランドルッチオ(Calandruccio)が行った有名な観察を根拠にしている。彼らは地中海のメッシナ海峡で採集したレプトセファルスを水槽の中で飼育していた。
ある日、水槽の中を見てみると、飼っていたはずのレプトセファルスはどこにもおらず、代わりに見慣れたシラスウナギがいるではないか。レプトセファルスがシラスウナギへ変わったのだ。
これが、長年謎とされていたウナギの幼期が、実は当時、全く別の一群の魚と考えられていたレプトセファルスだとわかった瞬間であった。
この発見があまりにも印象深かったので、人びとは地中海にウナギの産卵場があるものと思い込んだ。おそらくシュミットもそう考えたに違いない。
そして、シュミットは「初代のダナ(Dana)号」に乗り込んで、デンマークから地中海へ調査にやってきた。しかし、シュミットが地中海で得たレプトセファルスは、数十ミリメートル以上のかなり発達の進んだ個体ばかりであった。
その結果、ウナギの産卵場は地中海でなく、大西洋のどこかにあり、そこで生まれてかなり成長したレプトセファルスがジブラルタル海峡を経て地中海に入ってくるものと考えた。
シュミットは北大西洋のあらゆるところでプランクトンネットを曳いて、様々なサイズのウナギのレプトセファルスを採集した。その中でもサルガッソ海では、最も小さい10ミリ以下の仔魚が採れている。
これに基づいてシュミットは、ヨーロッパウナギの産卵場は、帆船時代に「船の墓場」と恐れられたサルガッソ海にあるものと考えた。
アメリカ大陸東岸に棲むアメリカウナギの小型レプトセファルスもサルガッソ海で得られた。アメリカウナギの産卵場もサルガッソ海だった。
当時の人びとは、ヨーロッパ大陸から数千キロも離れたサルガッソ海でウナギが産卵することを知って仰天したに違いない。しかしシュミットの結論は、理詰めの科学的なやり方であったので、人びとは驚いても認めざるをえなかった。驚きはやがて賞賛に変わっていった。
世界には19種・亜種のウナギが生息する。そのうち約半数のものについて計6カ所の産卵場が推定されている。これらの多くは、シュミットの「世界一周ウナギ産卵場調査」によって得られたレプトセファルスの採集データに基づいている。その意味でシュミットのウナギ研究への貢献は大きい。
ウナギの産卵場といえば、まず北大西洋のサルガッソ海、ヨーロッパウナギとアメリカウナギの産卵場だ。次章から述べる、太平洋のマリアナ諸島西方海域は、ニホンウナギとオオウナギの産卵場である。
セレベス海はセレベスウナギとボルネオウナギが産卵するとみられ、フィジー西方海域はオーストラリアウナギ、ニュージーランドウナギ、ニュージーランドオオウナギ、ラインハルディウナギの産卵場と考えられている。
インド洋には2カ所、マダガスカル島東方海域とスマトラ島西方のメンタワイ海溝である。前者ではモザンビークウナギが、後者ではベンガルウナギが産卵するとされる。
しかし、これらの多くはおおよその推定海域であって、はっきり産卵場と確認されたものは少ない。卵や産卵直前の親が存在する地点ならば、それは間違いなくその種の産卵場といえる。
しかし発育の進んだレプトセファルスが採れたからといって、直ちにその地点が産卵場であるとはいえない。孵化後かなりの期間、海流に運ばれ、産卵場から遠く離れたところで採集された可能性もあるからである。産卵場であることを示す証拠は、少なくとも10ミリ以下の小型レプトが採集されていることが必要である。
しかし、この条件を満たすものは現在のところ大西洋2種のサルガッソ海と、ニホンウナギとオオウナギのマリアナ沖の産卵場しかない。その意味では、多くのウナギの産卵場はいまだ謎に包まれている。