トランスジェンダー・性自認・LGBTQに関する問題がたびたびニュースになる昨今の日本。ドイツで知り合ったエリートエンジニアの彼氏・うさぎ君は突如として女装を始めます。パートナーである石野リサさんは、どんなことに戸惑い、どう対峙していったのでしょうか。ご自身の経験を語ります。
※本稿は、石野リサ著『彼氏が女装をはじめました...』(インプレス)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
LGBTQは珍しくない
2022年、私は43歳になっていた。そして西武新宿線沿いの郊外で開業医をしている。自宅マンションも高田馬場に移り、相変わらず障子や和物の骨董品に囲まれて暮らしている。母・アケミも「お宅のカマちゃん、元気?」と言ってくれるようになった。
この仕事をしていると、けっこうLGBTQの人って珍しくない。大学病院で働いている時も、事故で救急搬送されてきた紳士がピンクのレースの下着をはいていたことがあった。
周囲では、同僚の医師が2人、女性になっている。そのうち1人は体も適合手術を受けたが、男子時代のガールフレンドと暮らしている。もう1人はタイで近々オペする予定だ。うさぎ君の親衛隊(劇団の女の子たち)は私よりずっと若い子たち。彼女たちは違和感なくうさぎ君になつき、戯れている。
電通ダイバーシティラボの2023年の調査によると、LGBTQ+の割合は、9.7%なのだそう。これは世間の人が思っているよりずっと大きな数値ではないだろうか。なかでも女装家というジャンルはこの界隈で女装子と呼ばれている。
うさぎ君は女子のような、いや女子より美的感覚に忠実で、"かわいい"をリアルに追求する「男の娘」系だ。ただ、これはあくまでも生活スタイルやファッションに限定される嗜好性であり、性的嗜好は別。だから私も付き合っていけるのだろう。性のハードルはゆるい。
母・アケミも最近では「フツーの幸せはアンタを幸せにしないのかもね...」と言うようになった。達観だ。アケミが一番進化したのだ。
女装子として、かつての同僚との飲み会へ...
ある日、うさぎ君は満を持したように、かつての会社の同僚との親睦会に"女装子"として出かけることにした。
そう、白いワイシャツを着て海外出張を繰り返していた頃の同僚との飲み会だ。黒いラメ入りの体の線があらわなニットドレスを着込み、下着のラインが出ていないか、しきりに気にしている。
「あたし、キレイ?」
「キレイ、キレイ」私は答えた。
どう見ても私よりお肌も髪もツヤツヤで、いきいきしている。
同僚の企業戦士たちももう50を過ぎた、いいおっさんだ。ドイツに滞在していた頃はうさぎ君が一番年下だったから、定年間際の男性もいる。四ツ谷のこじゃれたレストランで、その飲み会は始まった。
「ハーイ、皆さん! あたし誰だか、わかるぅ?」
「???」
「野原でーす! うさぎ君と呼ばれていまーす。今日はカミングアウトがてら、みんなに会いたくて来ましたー♪」
ギョギョギョッ!! な空気。
「の、のはら? ホントに??」
「ホントでーす!」
その場にいた全員が凍りついたか、はたまた理解を示したか、わからない。でも、少なくともなんらかの啓蒙にはなっただろう。約9%の人間がすぐ身近にいるという事実に、そろそろ慣れてもいい頃だ。いや、うさぎ君に触発されて女装を始める男が出てこないとも限らない。
私はと言えば、現在、開業医として多忙な日々をおくっている。自分の采配でクリニックをマネジメントできるから、雇われ院長の頃よりずっと自由度が上がり、やりがいもある。ドイツ語の翻訳の仕事も頼まれるようになった。
別にうさぎ君に不満もないし、このままパートナーで一緒に年をとっていくのも悪くない。何と言ってもうさぎ君は興味深い存在だし、時々アッと言わせてくれるし、一緒にいて楽しい。
そりゃBMWに乗ってドイツロマンチック街道を疾走する駐在マダムになるという憧れがすっかり消えたわけじゃないけど、今のこの状態は居心地がいいし、無理に変えようとも思わない。
これでいいのだ~♪これでいいのだ~♪♪ 畳の部屋で上級煎茶を飲みながら、私は独り呟くのだった...。