計算できない、名前が出てこない...「46歳で認知症を発症した男性」に訪れた転機
2026年01月30日 公開
写真家の下坂厚さんは、45歳で仕事を独立し、46歳で「若年性アルツハイマー型認知症」と診断されました。将来の不安に襲われる下坂さんのもとに舞い込んできたのは、介護ボランティアの誘い。現在は、社会福祉法人の広報として働いている下坂さんに、ご自身に起きた変化について語っていただきました。(取材・文:社納葉子)
※本稿は、月刊誌『PHP』2024年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
病気への恐怖より、稼げなくなる不安と絶望
認知症という言葉は知っていても、自分が40代で認知症になるとは思いもしない人がほとんどではないでしょうか。まさに僕がそうでした。10年以上働いた鮮魚店を辞めて45歳で独立し、仲間たちと会社を立ち上げ「さあこれから」というとき、おかしいなと思うことが増えました。
商品を数えまちがえる、簡単な計算ができない、毎日顔を合わせている同僚の名前が出てこない。それでも「疲れがたまっているのかな」と軽く考えていました。
ところが、病院に行くとまさかの「若年性アルツハイマー型認知症」の診断です。46歳だった僕には「認知症は高齢者の病気」「何もかもわからなくなる」というイメージしかありませんでした。
インターネットで調べると、「現状では根本的な治療法はない」「若年性認知症は進行が早く、約半数が2年から8年で寝たきりになる」と絶望的な情報ばかりが出てきました。同僚に迷惑をかけると思い、会社はすぐに辞めました。
厳しい現実を受け止めきれずにいても、仕事や生活のことなど考えなくてはならないことはたくさんあります。僕は他人に悩みを打ち明けたり相談したりすることが苦手で、妻になかなか言い出せませんでした。隠していた検査依頼箋が妻に見つかり、診断の報告を聞いた妻は気丈に振舞ってくれましたが、衝撃を受けているのはわかりました。
実は認知症という病気に対する恐怖よりも、稼げなくなる不安と絶望のほうが大きかった。「死ねば保険金でローンが返せる」とまで思い詰め、電車に飛びこみそうな衝動に駆られたこともあります。
自分ができることに目を向ける
診断を受けて2カ月がたつころ、「認知症初期集中支援チーム」の家庭訪問があり、そのときに「デイサービスセンターで介護ボランティアをしてみませんか?」と言われました。「助けてほしいのはこっちなのに」と思いましたが、断る気力もないほど弱っていた僕は、ついうなずいてしまいました。
結果的にこれがよかったのです。ほかの認知症の方々と接するうちに、病気のイメージが変わりました。会話も身のまわりのこともほとんどできないほど症状が進んだ方に未来の自分を重ねて暗い気持ちになることもありましたが、認知症を自覚されながら元気に過ごす方もいて、同じ病気でも人それぞれだと知りました。
また、戦争体験者や車いすの方などいろんな人に出会い、笑顔で「生きているだけでありがたい」とおっしゃる姿に救われました。「稼ぐだけが人間の値打ちじゃない」と思えたのです。
仕事中に目の前にいる人の名前が出てこないなどの症状が出ることもありますが、こまめにメモをとったりほかの職員にサポートしてもらったりと工夫しています。必死で働くうちに、不安でいっぱいだった気持ちがだんだん落ち着いてきました。「社会で働き、役に立っている」という実感に心と体が満たされ、「人には居場所と役割が必要だ」とつくづく思いました。
新しい地を訪れ、人を写す
僕は今、業務委託でデイサービスを運営する社会福祉法人の本部で広報として働いています。また、講演やSNSを通じた認知症の啓発活動やピアサポート活動にも力を入れています。実は認知症になるまでは生まれ育った京都からほぼ出たことがなく、旅行や散策にも興味がありませんでした。
講演の依頼で北海道から沖縄まで各地に足を運ぶようになったことをきっかけに、日常的にも、いろんな場所に行くことを習慣にしています。住んでいるとなかなか行かない京都の観光地などにも出かけるようになりました。初めての場所で味わう新鮮さや喜び、それまで気づけなかったことが見えてくるうれしさを知ったからです。
もちろん道に迷うかもしれないという不安はありますが、スマートフォンの地図アプリやメモ機能をフルに使い、それでも困ったときには周囲の人に助けを求めます。最初は出先で失敗すると、周りに知られまいと隠していました。でも、失敗は認知症の症状からくるもので恥ずかしいことではないと思えるようになってからは怖くなくなったんです。安全のために行動範囲をせばめるより、一度きりの人生を楽しむために行動を制限したくないと考えています。
鮮魚店をやる前はプロを目指していたほど好きな写真も作風が変わりました。以前は風景ばかりだったけれど、今は人にカメラを向けることが多いです。僕はいずれ病気が進行して自分で自分のことができなくなり、大切な人のことも忘れてしまうかもしれない。でも、いつまでもみんなと同じように過ごしたいあこがれがあって、人を撮るようにしているのかもしれません。
人とのコミュニケーションが得意でなかった僕が、認知症について人前で話し、困りごとがあれば助けを求め、撮った写真をSNSで世界に発信する。診断を受け絶望したときには想像もできなかったことです。
僕はたまたま認知症になり、それを公表して人とのつながりができたから、前を向くことができました。何らかの生きづらさやコンプレックス、障害を、だれもが抱えていると思います。「一人で抱えこまないで」と、少しでも生きやすくなるようなメッセージを伝えていけたらと思っています。
【下坂厚(しもさか・あつし)】
1973年、京都府生まれ。2019年、46歳で若年性アルツハイマー型認知症を発症。講演やインスタグラム(@atsushi_shimosaka)を通じて認知症の情報を発信する。著書に『記憶とつなぐ』(共著、双葉社)などがある。