「当時、JALが嫌いだった」3.11をきっかけに、“稲盛流”の希望が差した出来事
2012年10月18日 公開 2024年12月16日 更新
稲盛和夫氏は2010年、事実上倒産したJALの名誉会長に就任する。当時のJALは、倣慢でお客様をないがしろにするような態度が目立ち、現在のようなフィロソフィが行き届いた経営とは程遠いものだったという。
稲盛氏はそれを再建させる役目を担うなかで、社員の意識がいい方向へ変わったと感じる一通の手紙があったと語る。
※本校は稲盛和夫著『[新版・敬天愛人]ゼロからの挑戦』(PHPビジネス新書)より一部抜粋・編集したものです。
お客様からの感動のメッセージ
会長就任前、実は私はJALが嫌いだった。日本を代表するナショナルフラッグキャリアという自負心ゆえかもしれないが、倣慢さ、横柄さ、プライドの高さが鼻につき、お客様をないがしろにするようなこともあった。
実際に、かつてはJALに搭乗されていたお客様の中に、不快な思いをされて、別の航空会社を選ばれるというケースが増えていたようだった。
そのような鼻持ちならない会社、職場、社員であったJALが、「フィロソフィ」を通じて、意識改革を図るうちに、徐々に変化を遂げてきたのである。
現場の最前線に立って、懸命に働いてくれている社員たちが、私が訴えてきたことを理解し、それぞれの持ち場や立場で、懸命に仕事に取り組んでくれるようになっていったのだ。
また、JALという会社を心から愛し、お客様にも「JALを好きになってほしい」という素朴な気持ちを抱き、真摯に接し始めている。
すると最近では、お客様から称賛の手紙を数多く頂戴するようになった。特に、昨年の東日本大震災に際し、JALの社員1人ひとりが航空運輸事業の原点に立ち返り、お客様のため、本当に素晴らしい仕事をしてくれた。
たとえば、機内に長時間閉じ込められたお客様に、炊き立てのおにぎりをつくり、提供したキャビン・アテンダント。ラウンジに閉じ込められたお客様の体調を気遣い、ポケットマネーでチョコレートを買ってあげたモスクワ支店の社員。
被災地に向かう日本赤十字の救援スタッフたちに、心温まる慰労のアナウンスを行ない、機内に感動の渦をもたらした機長。さらには、その被災地に向かう救護スタッフの荷物を預かり、さり気なく、労いと励ましのメモをしのばせたキャビン・アテンダント。
そのようなJALの社員の心温まる接遇を受けて、多くのお客様から感動の声を寄せていただいた。その中から1つだけを紹介したい。
それは、福島県に住む母親が関西へ避難するに当たり、たまたま乗り合わせた、神戸へ向かう非番のJALキャビン・アテンダントに、ぜひお礼を伝えたいというメッセージだった。