「積水ハウス地面師事件」稟議書は猛スピードで社内を回った...社長の反省の言葉
2025年04月10日 公開
法廷で次々明らかになる、本当にあった怖い話――。「入社歓迎会で泥酔からの暴言」「パワハラを受けて、上司を殴打」...。裁判という場で明らかになった、驚きの事実とは。日本経済新聞電子版の人気連載「揺れた天秤」をまとめた書籍『まさか私がクビですか?』より、「積水ハウス地面師事件」のエピソードを紹介する。
※本稿は、日本経済新聞「揺れた天秤」取材班著『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
五反田駅近の好立地「いよいよ所有者が手放すことになった」
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JR山手線の五反田駅から徒歩数分の好立地に2024年春、タワーマンションが完成した。この場所はかつて、不動産大手の積水ハウスが組織ぐるみで「地面師」グループにだまされるという事件の舞台となった土地だ。
多くの社員が関わり、何重もの幹部決裁を経たが、現場に生じた違和感をすくい上げて取引を中断することはなかった。架空取引による損失額は55億円に上った。
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「なかなか売りに出ることがなかった物件で、ぜひ進めたいです」─。2017年4月18日、積水ハウスでマンション事業の本部長を務めていた男性は、都内の視察現場を訪れた社長(当時)への説明に力を込めた。
廃業旅館が建つ約2000平方メートルの土地は駅にも近く、マンションを建てれば確実に需要が見込めた。業界では売りに出ないことで有名だったが、同社の営業担当者が「いよいよ所有者が手放すことになった」とささやく知人業者から購入を持ちかけられた。
わずか2日で承認
積水ハウスは戸建て住宅が主要事業で、マンション建設は業界大手の後塵を拝する。同業も羨むに違いない「お宝物件」を手中に収められることへの期待は、いやが上にも高まった。当初はいぶかしんだ営業担当者も、公証人による所有者の本人確認資料が送付されてからは疑うことがなかった。
社長視察後の展開は速かった。本部長は売買契約の社内決裁を得るための稟議書に急いで押印し、大阪本社に送った。
「以前より注目され、様々な企業が取得を目指してきましたが、いずれも地主との交渉にまでたどり着かない状況でした」。
文面にはやる気持ちと功名心がにじむ。鉛筆で「社長現地ご視察済み」と記載した形跡もあった。
売り主の気が変わったり競合他社が入ったりしないうちに─。取引を成功させたい社員らの焦りは、巨額投資に求められる慎重さよりもスピードを優先させるように、熱を帯びて組織を動かしていった。
経営企画部長、経理財務部長、法務部長。稟議書は猛スピードで社内を駆け巡り次々に決裁印が押された。通常は先に回覧するはずの副社長ら幹部4人を飛ばし、社長の承認を得たのは視察のわずか2日後だった。
ほどなくして売買契約が結ばれ、手付金14億円を支払った。契約の場に姿を見せた高齢女性は「所有者」を名乗り、精巧に偽造した本人確認書類や土地の権利証のコピーなどを示した。サポート役も交じって言葉巧みに取引を進め、関わった社員らはだまされているとは夢にも思わなかった。
契約締結後、不審な出来事が立て続けに起きた。所有者本人を名乗る人物から「売買契約はしていない」「別人との取引だ」との複数の内容証明郵便が届いた。仲介している知人業者について怪しい噂があるとの情報ももたらされた。
ちらつく成功に目を奪われると、人はネガティブな情報を信じたくなくなるものだ。取引成功へと突き進む空気の中、本部長をはじめとする社員らは、実際は正しかった郵便などに「不自然な点も多い」と取り合わず「取引を妨害したい者の嫌がらせ」と断じた。
逆に「嫌がらせ対策」などとして残代金の決済前倒しを決め、再び社内で承認獲得に奔走した。所有者という高齢女性は自分の誕生日を忘れたり干支を間違えたりしていた。兆候はいくつも転がっていたが、立ち止まることはなく残る50億円が支払われた。
戻らなかった55億円
法務局は書類の偽造を見抜き、移転登記の申請を却下した。後に警視庁がグループを摘発。メンバーら計10人が起訴され、有罪判決を受けたが、積水ハウスが支払ったうち55億円は戻らなかった。
他人の土地を勝手に売却して利益を得る「地面師」による被害は1990年前後のバブル経済期に全国で多発した。その後は沈静化したが、近年は地価の上昇や地面師が悪用しやすい空き家の増加など活動が活発化しかねない環境が整う。総務省によると、空き家の総数は2018年に849万戸と20年で約1.5倍に増えた。
積水ハウスの株主のひとりは当時の社長らの経営責任を追及し、損害分の賠償を求めて提訴した。大阪地裁は「会社が大規模で分業された組織形態となっている場合、各部署で検討された結果を信頼して経営判断をすることは合理的」と請求を退け、22年12月の大阪高裁も判断を維持して確定した。
社長が語った反省の言葉
もっとも、証人尋問に立った当時の社長は「じくじたる思いはある。各部署が情報を共有化し、連携しながらやれていたらどうだったろうかということが反省としてある」と振り返った。
外部弁護士による検証報告書も、事件を引き起こした構造的要因は、社内にまん延した「縦割り意識の強さ」や「部門間のチェック機能の不整備」だったと指摘した。同社は事件後、都合の悪い情報も部署間で共有できる仕組みを整えるなどの再発防止策を講じた。「立ち止まる勇気」を持てるかが、いつの時代でも組織づくりの要諦なのかもしれない。