禅で身につく「仕事」の基本
2012年11月20日 公開 2024年12月16日 更新
いま注目を集めている「禅」は、忙しない現代において忘れがちな「本当に大切なもの」を思い出させてくれます。建功寺住職の枡野俊明さんが、「禅」の基本的な考え方について解説します。
※本稿は、枡野俊明著『[図解]禅で身につく「人生」と「仕事」の基本』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
なぜ今、「禅」が注目されているのか
禅の考え方や所作が、今世界で注目されています。私は庭園デザイナーとしても活動していますが、禅の庭をつくってほしいという注文が殺到しています。どうしてそんな状況になったのでしょうか。
私たち僧侶は、365日早朝に起きて、庭を掃き清め、お経をあげるという修行をしています。静かに坐禅を組んで、一汁一菜の食事をいただく。修行を志す僧侶にとってはごく当たり前の日常生活さえもが、注目されている。
庭の掃除をするのは当たり前のこと。静かに坐禅を組んで自己と向きあうことも、人間としては必要なこと。空腹が満たされたら、必要以上に食べないということも、本来は当たり前のことだと思うのです。
しかしそういう僧侶の生活に注目が集まっているとすれば、それはきっと、「当たり前のことが当たり前でなくなっている」からではないでしょうか。
「当たり前」を「当たり前」と思う心を取り戻す
朝、誰かと会えば、「おはようございます」と挨拶をする。誰かが道端でしゃがんでいたら、「大丈夫ですか?」と声をかける。自分の所に必要以上のものがあれば、困っている人におすそ分けをする。お年寄りには席を譲る、小さい子供たちを守る...。
このような当たり前のことを忘れている人たちが増えているのかもしれません。だからきっと、禅のなかにある「当たり前」に心惹かれるのではないでしょうか。今大切なのは、人として当たり前のこと、それを大切に思う心を取り戻すことです。
あなたが今、当たり前だと信じ込んでいること。それは本当にあなたにとって心地よいものですか。もしも少しでも居心地の悪さを感じていたとしたら、その「当たり前」は間違ったものだと思います。
そしてその間違いに執着し続ける限り、あなたの心はどんどん幸せから遠ざかっていくのです。何ものにも執着することなく、一点の曇りもない心で、自分自身を見つめ直してください。
書類を「包む」ことで相手と心を通わせる
取引先の会社に書類をもっていく。一生懸命に作成した書類を、会社の茶封筒に入れてもっていく。しごく当たり前のことです。しかし、もう少しだけ心をそえてみてはいかがでしょう。たとえば茶封筒を布かなにかで包んでもっていくのです。
中身はもちろん同じです。でも、かばんから出したままの茶封筒を渡されるのと、1枚の布をほどいてから渡されるのでは、ずいぶんと印象が変わってくるものです。
「この人は、こんなに大切にわが社の書類を扱ってくれているんだ」「この仕事に一生懸命に取り組んでいるんだ」。そんな気持ちになるでしょう。
相手の気持ちをいかにくみ取り、いかに相手と心を通じあわせ、言葉で直接的に言わなくても、自分の心をわかってもらえるように心掛けるか。仕事とは、担当者同士の心の通いあいだと私は思います。
ほんとうに伝えたいことは文字では表せない
日本人は、直接的な表現をしません。言葉をうまく包んで、相手に想像させる余韻を残しておく。それが美徳だと考えられてきました。気持ちや言葉を上手に包むことで、ぶつかりあわない関係を築いてきたのです。
禅の言葉に「不立文字 教外別伝」というものがあります。ほんとうに言いたいことや教えたいことは、決して文字や言葉では表せない。書物には記されていないところにこそ、真の悟りがある。すべてを表に出すのではなく、受け取る側が想像できる余白を残しておく。それが包むということなのです。
茶封筒をわざわざ風呂敷で包む。一見すると無駄な行為であるような気がしますが、そこにこそ日本人らしい心が隠されているのです。1枚の風呂敷と茶封筒の間には、その人の思いがたくさん詰まっている。取引先に対する敬意や、この仕事にかける熱意が詰まっている。
そしてそれは、きっと相手の心を動かすことになります。合理性だけでは説明のつかない心持ちを、日本人はもっていると私は思っています。
心地よい距離感を保つ工夫をする
人間関係における距離感というのは、とても大事なものです。つい私たちは、相手との距離を縮めようとします。もっと親しくなりたい、もっとわかりあいたい、それこそがよき人間関係につながるのだと。
でも、はたして本当にそうでしょうか。相手との距離が近くなれば、ある種の信頼関係も生まれるでしょう。しかしそれと同時に、近くなることで苦しむこともあります。
たとえばあまりよく知らない人の言葉には鈍感でも、親しい間柄の人からマイナスのことを言われたりすると、たちまち気持ちは落ち込んでしまいます。
それどころか、距離が近いが故に、過剰なまでの反発や怒りを覚えることもある。そして近づきすぎた人と一度ぶつかれば、いっぺんにその関係が崩れてしまうこともあります。
もう少し適度な距離感を見つけてみてはいかがでしょう。それは何もよそよそしくしたり、関係を深めないようにするということではありません。ごくごく自然体で、相手との関係を保つということなのです。
コツは「適当に聞き流すこと」
たとえば禅語のなかに「八風吹けども動ぜず」(28ページ参照)という言葉があります。あちこちから風は吹いてくるけれど、そんなものに動じない心をもつという心掛けを表わしています。
人づきあいのなかでは、ときに胸にグサリとささるような言葉を投げかけられたりする。近しい人の言葉ならなおさら傷つきます。相手は善かれと思って言ったことを、こちらが悪いほうに解釈することもあります。誤解や行き違いが生じることで、せっかくの信頼関係が失われてしまう。それは悲しいことです。
お互いに聞き流す知恵を身につけることです。相手の言葉に執着しないこと。いつまでも心に留めておかずに、さらりと聞き流してしまえばいいのです。
その人との関係に執着しすぎることで、気に病むことは増えるばかり。「この人と一生つきあおう」などと決めつけずに、自然体で接することがいちばんです。
【枡野俊明(ますの・しゅんみょう)】
曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授
1953年神奈川県生まれ。大学卒業後、大本山總持寺で修行。「禅の庭」の創作活動により、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。2006年には『ニューズウィーク』日本版にて、「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。庭園デザイナーとしての主な作品に、カナダ大使館庭園、セルリアンタワー東急ホテル日本庭園など。