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生き方

ネガティブ思考をやめられない漫画家が「ネガティブで良かった」と思えた瞬間

吉本ユータヌキ(漫画家)

2025年10月10日 公開

嫌われるのがこわい。誰かに相談することもできず、言葉を選びながら生きてきた。――そんな著者が気づいたのは、「ネガティブ」には思いがけない力があること。漫画家・吉本ユータヌキさんの初のエッセイ集『漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』より、公認心理師でありコーチングのプロの中山さんから「ネガティブに生きていて得られたこと」について聞かれたときのエピソードや、人に相談できないと悩む理由について綴った一節をご紹介します。

※本稿は、吉本ユータヌキ著『漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』(集英社インターナショナル)より内容を一部抜粋・編集したものです

 

ネガティブやめたい

 

相談できなかった

「へんなこと考えるやつだな」「めんどくさいやつだな」って思われるのが、なんでこわいのか、考えてみました。

この先には「へんなやつと思われると、見放されるんじゃないか」「めんどくさいと嫌われるんじゃないか」という不安につながっていて、嫌われたら、どこかで今も自分の悪口を言われてるんじゃないかって、何度も悪い想像ばかりしてしまうんです。

思い出したのは中学時代。

友達もほどほどにいて、勉強にも困ることなく、わりと順風満帆な小学校生活を送っていたぼくは、中学校に入学してすぐいじめの対象になりました。キッカケは、ぼくが教室のドアを廊下側から開けて入ろうとした時に、中にいたTくんがドアに手を置いていたため、ドアとドアの間に指を挟んでしまったことでした。ぼくはすぐに謝ったものの、Tくんはじっとぼくのことを睨み「絶対に許さん」と一言残して去っていったんです。

それからは休み時間になるたび聞こえるように悪口を言われたり、わざとぶつかられたり。教科書とか筆箱・カバンに足跡がたくさん付いていたこともありました。Tくんだけじゃなく、Tくんの友達にも広がり、ぼくは知らない同級生の男子にも嫌がらせを受けるようになりました。

それからは学校にいる間、ずっと誰かに睨まれてるように思えて、怯えていました。授業中、先生にあてられて答えるだけでも、なにか陰口を言われている気がするようになり、ぼくは「同学年の男子」という存在がこわくなってしまいました。

こんな話をすると「親とか先生には相談しなかったの?」と聞かれるんですけど、相談できるはずがない。

親を悲しい気持ちにさせてしまうかもしれない。学校に迷惑をかけてしまうかもしれない。万が一、先生がいじめてきた同級生を呼び出すなんてことがあったら、その後、余計にいじめられるんじゃないかと思って、こわくて誰にも言えませんでした。

だから極力目立たず、大人しく3年間、自分の気持ちを殺して中学時代を過ごしました。あんなに思い出したくない3年間はありません。

自分の気持ちを素直に言えない。誰かの目が気になって。

素直に話すことで誰かに嫌われてしまうかもしれない。悪口を言われてしまうかもしれない。またあの時みたいに苦しい気持ちになるかもしれない。

大人になって「さすがにもうそんなことはないだろう」と考えることもあるけど、それでも変わりきれず。相手の正解を探すように生きるクセが付いてしまっているんだなと思います。自分が我慢すればいいんだ、と。

今もまだ嫌われるということはこわくて。悩みを相談したいと思う時も、相手は女性の方か、歳の離れた男性の方がどこか安心なんです。

この先もずっとこの気持ちはなくならないんだろうなと思っています。誰と話す時も「嫌われるんじゃないか……」と怯えて頭をフル回転させながら言葉を選ぶし、そのたびにいじめてきたTくんのことを思い出して腹が立つ。比較したって仕方がないけど、悔しいからアイツらより絶対幸せに生きてやるって思っています。

今の気持ちに向き合って自分自身に「思ったこと素直に言っていいんだよ」って言いながら、素直に言えたり、やっぱり言えなかったりを繰り返しながら、ちょっとずつ素直に言える割合を増やしていきながら、生きていくしかないんだなと思っています。

 

「ネガティブ」を使いこなす

「ネガティブ思考」ってやめられないものだと思っていました。

気質や性格的なもので、そう考えてしまうのは仕方ないこと。変えられないことだと思っていたので、イヤなことを考えてしまっても「どうやって忘れるか」「意識しなくなれるか」ってことばかり考えていました。

中山さんとの定期雑談会で悩みを話すたびに「ぼくはネガティブなんで」と言ってたのを覚えています。当時は深く考えず、自然にネガティブを使っていたのですが、今思うと「ネガティブ」という言葉を盾に、悩みと向き合うことから逃げていたり、暗い言葉を吐き出すことを許されたかったのかもしれません。

その行為自体だけ見ると、すごくポジティブに「ネガティブ」を使いこなしてたんだなと、気づいた瞬間は少し笑ってしまいました。

また、中山さんの「ネガティブに生きてきて得られたことは?」という問いのおかげで、「視点を少しズラしてみると自分の欠点も強みにも見える」ということに気づきました。「自分の悪い部分を探そうとする」というクセの話なんだなとわかってからは、物事をあらゆる角度から捉えられるようになり、考え方自体変わってきました。

そしてそのいろんな捉え方に対しても中山さんは「『いい・わるい』ではなく、自分はどっちの考え方が『好きか・嫌いか』で考えるといいですよ」と教えてくれました。

たしかに「いい・わるい」だと、一般的にはどうか、平均と比べるとどうかと、人の目を気にして考えてしまうけど、好みは自分の中でハッキリとある。それに人それぞれ好みが違うのは当然のこと。食べ物や人のタイプみたいなもの。

それからは、好みと状況に合わせて判断するようになり、自分の選択に納得できることが増えました。

 

言葉は染み込む

少し前に本の取材を受けた中で、インタビュアーさんがぼくの作る本に対して「弱者に寄り添う一冊ですね」って言ってくださったんです。

決して悪意があったわけではないとわかりつつも「弱者」という言葉がぼくの中で引っかかったんです。

ぼくはぼくの描く話を特定の誰かに向けて描くことはしてなくて、生きてればどこかのタイミングで「死にたい」と思う瞬間や「なんのために生きてるんだろう」と考えて頭を抱える瞬間が、みんなあるんじゃないかと思っています。だから、「弱者」という人がいるんじゃなくて、みんな弱ってしまうタイミングがある。そんなタイミングで出会ってもらえたらいいなと思って描いています。

ぼくが「弱者」という言葉を過度に気にしているだけかもしれないですが、ぼくはぼくの本を手に取ってくれた人が「私って弱者なんだ……」って思ってほしくないんです。

ぼくは自分に自信が持てなくて、ずっと他人からもらった言葉を纏って生きてきました。

「吉本さんって面白いね」って言ってもらえたら、嬉しい気持ちを抱えながら「もっと面白くいよう」と、「いいやつだな」って言ってもらえたら、「いいやつとしてその人の近くにいよう」と。期待を裏切らないように。

「アホやな」って言われたら「自分はアホなんだな」って。

そして、そんな言葉は自分の中に染み込むとなかなか拭えなくて、ずっといつまでも残り続けてしまうんです。良くも悪くも。

だからぼくは、自分を弱者だと思ってる人も「弱者」だと思ってほしくないと思っています。今、自分で感じてる悩みも欠点も、苦しみも悲しみも、決して消化できることはないと思うけど、なにかのタイミングで全部「だからこそ」で、ひっくり返る可能性があると信じてるので。

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