宇宙経済は2024年に約6130億ドルまで拡大し、2035年には1.8兆ドル規模に達すると見込まれています。いまや宇宙は、ごく一部の専門家だけの領域ではなく、巨大産業へと急速に変貌しつつあります。
元NASA研究員の佐々木亮さんは、宇宙ビジネスは10~20年前と比べて「驚くほど身近な存在になった」と語ります。著書『宇宙ビジネス超入門』では、宇宙に関連する仕事の広がりを多角的に掘り下げています。
本稿では、その中から発展のめざましい「宇宙空間の衣・食・住」のうち、特に「衣」について取り上げた一節をご紹介します。
※本稿は、佐々木亮著『宇宙ビジネス超入門』より、内容を一部抜粋・編集したものです。
プラダの手掛けた宇宙服が登場
宇宙での服といえば、やはり「宇宙服」ですね。宇宙空間にふわふわ浮かんで船外活動を行う時に着る、あれです。
実は現代の宇宙服開発は、もはや政府や国家機関だけが手がける専売特許ではありません。この分野にも、民間企業による革新的な取り組みが次々と生まれており、宇宙産業全体に大きなパラダイムシフトをもたらしています。
代表的な企業として注目されるのが、元JAXA宇宙飛行士の若田光一さんが現在所属するAxiom Space(アクシオムスペース)です。同社は、独自の商業宇宙ステーション製造と並行して、宇宙空間で活動するための次世代宇宙服の開発にも積極的に取り組んでいます。
世界的な話題を集めたのが、イタリアの名門高級ファッションブランド「プラダ」との異例の共同制作です。一見すると畑違いに思えるファッションブランドの宇宙進出という意外性もあって注目を集めました。しかし、プラダが長年培ってきた上質な生地への深い知見と技術力が、極限の安全性と高い駆動力を両立させなければならない宇宙服開発には不可欠だったのです。
この取り組みについて、プラダ創業者の曾孫でプラダグループCMOのロレンツォ・ベルテッリ氏は、「高性能な素材、機能、縫製技術について、私たちの専門知識や技術を提供し、また私たちも多くを学ぶことができました」とコメントしています。
プラダの持つノウハウは、宇宙服に求められる多層構造の圧力スーツや、温度変化に対応できる断熱材の選定において、従来の工業製品では実現できなかった柔軟性と耐久性を実現したのです。
世界的に知名度の高いSpaceXも独自の宇宙服開発に力を注いでいます。従来の重厚感があり動きにくそうなフォルムから、洗練されたスタイリッシュな見栄えの宇宙服へとイメージを劇的に一新しました。機能性を保ちながらも美しさを追求するこのアプローチは、宇宙服に対する一般の人々の印象を大きく変える効果をもたらしています。
SpaceXの宇宙服は、従来の「着る機械」という概念から脱却し、人間の体の動きに自然に追従する「第二の皮膚」のような設計思想を採用。宇宙飛行士の作業効率向上にも大きく寄与しています。
西陣織の強みと最新技術が融合
日本国内からも、大学と連携したスタートアップから新たな宇宙服を作り上げる取り組みがスタートしています。宇宙服などの研究開発を行うスタートアップ企業のAmateras Space(アマテラススペース)と京都大学、岐阜医療科学大学は、日本の伝統工芸である西陣織を採用した次世代宇宙服「VESTRA(ヴェストラ)」の開発をしています。
この宇宙服は、1000年以上の歴史がある西陣織の特徴が生かされていて、摩耗や衝撃、熱に対して高い耐性を持つとされています。素材には金属製の糸を使用することで、宇宙空間での被曝を低減できるようにもなっています。まさに日本の織物の強みと、金属性の糸を編み込んでいく近代技術が融合された形が実現していると言えます。
このように、「非宇宙業界」や「伝統製法」が宇宙分野に関わってくる流れは年々強まっており、これまで宇宙とは無縁だった業界で働く人々にとっても、宇宙への心理的・技術的距離は確実に縮まっています。
宇宙では下着の交換が2日に1回!
船外宇宙服以外にも、宇宙の居住空間で日常的に着用される服への企業参入が活発化しています。それは、宇宙飛行士が長期滞在する宇宙空間・ISSでの生活を豊かにし、地上のファッション業界を巻き込んだ大きな変化の波となって押し寄せています。
現在の宇宙滞在で、洗濯をするということは想定されていません。さまざまな悪影響が懸念されるので、洗濯をするという行為自体ハードルが高いのです。
まず、宇宙では水そのものが貴重な物資であること。そして、仮にこれをクリアできたとしても、洗濯機は微小重力下では水が表面張力によって球状になり、制御が極めて困難になります。従来の洗濯機のような遠心力を利用したシステムは機能しません。
さらに、洗濯は汚水処理に膨大なエネルギーを消費することや、洗濯時に発生する水滴が精密機械に飛び散って重大な故障の原因となるリスクが挙げられます。
結果として、洋服は洗濯するよりも使い捨てにする方がはるかに効率的とされています。
洗濯一つとってもハードルの高さが伝わると思います。しかし、裏を返せばそこにはビジネスチャンスがあるということ。これからますます発展する宇宙ビジネス市場に期待が高まります。
こういった洗濯についてのハードルの高さから、現在のISSでは厳格な着用スケジュールが設定されており、ポロシャツは15日に1枚、下着は2日に1枚、Tシャツは3日に1枚といった具合に、各アイテムの着用頻度が細かく決められています。
役目を終えた船内服は、その他の廃棄品と一緒に無人補給船に積み込まれ、地球への帰還時に大気圏再突入の際の高温で完全に燃え尽きるという、壮大な最期を迎える仕組みになっています。この廃棄方法は、宇宙ゴミ(デブリ)の発生を防ぐ環境配慮の観点からも重要な意味を持っています。
ビームス、ゴールドウインも参入
この船内服の分野に、従来の宇宙産業とはまったく無関係だった企業の参入が相次いでいます。2020年11月に野口聡一宇宙飛行士がISSに長期滞在した際の船内服は、日本のファッション業界を代表する株式会社ビームスが手がけ話題となりました。
ビームスは、若い世代を中心に幅広い層に支持されるファッションセンスと、快適性を重視した衣服設計のノウハウを活用し製作。その結果、宇宙という特殊環境でも着用者が心理的な満足感を得られる衣服を提供しました。
星出彰彦宇宙飛行士の滞在時(2021年4月~)には、アウトドアブランドとして世界的に知られるTHE NORTH FACEの日本国内企画・販売を担う株式会社ゴールドウインが、JAXAとの綿密な共同研究により、宇宙環境に最適化された機能性衣服を開発・製作しました。
ゴールドウインが長年にわたって極地探検や高所登山用ウェアで培った、極限環境での人体保護技術が、宇宙という究極の極限環境でも有効に機能することが実証されています。
特に興味深いのは、これらの船内服が、必ずしも革新的な特別技術を要するものではないという点です。基本的には吸水速乾性と抗菌消臭性を備えた素材が採用されますが、これらはすでに地上での日常生活やスポーツウェアで広く使われている実証済みの技術です。
つまり、地球上で培われた繊維技術や衣服製造のノウハウが、そのまま宇宙環境でも有効活用できるということなのです。