三宅香帆さんが著書のヒットで確信した「世の中が求めている言語化」の特徴
2026年01月09日 公開
感動したことや自分の考えたことを誰かに伝えたい。さらに一歩進んで、オリジナリティのある言葉で相手にインパクトを残すことができたら...! 文芸評論家の三宅香帆さんは、そこに必要なのは観察力や読解力、分析力などではなく、「妄想力」だと言います。自身の「妄想力」で思考を膨らませていく方法とは?ベストセラーとなった著書の事例をもとに、「問い」を投げかける言語化の手法を解説します。
※本稿は、三宅香帆著『伝わる言語化 自分だけの言葉で人の心を動かすトレーニング』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より一部抜粋・編集したものです。
現代の言語化には「情報格差」への配慮が欠かせない
価値観の多様化にともない、私たちは情報格差が広がる時代を生きています。
たとえば同じ会社のなかにもいろいろな人がいて、「仲間内の言葉」で話せる場面ってそんなに多くはないのではないでしょうか。
そもそも「仲間内の言葉」自体少なくなっているのかもしれません。
また、もはや無縁ではいられないSNSの世界はほぼ「仲間以外の人たち」です。
だから伝えたいことがうまく伝わらなかったり、場合によっては思わぬ誤解を受けたりして、なんだか怖くなったりもする。
なぜそんなことが起きるのかというと、「もっている前提がそれぞれ異なるから」。
だから、「自分のなかの言語化」は孤独に自由にやるとしても、「他人に対する言語化」は、「自分と相手の情報格差を埋める」という配慮がやっぱり欠かせません。
もちろん各方面に100パーセント配慮するなんてことは無理なんですが、その姿勢を見せることならできます。
たとえば、「私とは違う意見がある人はたくさんいると思うのですが」という言葉を添えるだけでも、相手の印象は全然違う。
もちろん、空気を読めと言いたいわけではありません。他人の言葉から自分の言葉を守るためにも、むしろ、空気なんて読まないほうがいい。
大事なのは、みんなの空気と自分の意見は違うのかもしれないということを自覚して、そこのケアしておくということです。
自分の立てた「問い」がオリジナリティになる
情報格差を埋める配慮をすれば、伝えたいことを相手に届けられる可能性は高まるでしょう。そして、「自分の思いを誰かに伝えたい!」という「感想タイプ」の言語化であれば、とりあえず「伝えたいことを伝える」という目的は果たされます。
でも、それだとなんだか物足りない。
もう一歩インパクトを残したい...。
オリジナリティをもっと出したい!
そんなふうに考えることがあるかもしれません。
そこで1つの方法として私が提案したいのは、
伝わりやすい言葉で語りながら、自分の立てた「問い」を相手に投げかけてみる
ということです。
もちろん、本のように自分自身が著者となって書く場合は、問いを立てるだけでなく、自分なりの答えをわかりやすく伝えなくてはいけません。だってそれが本を著すということだから。
でも、文芸評論家として本の批評を書いたり、好きなアイドルや映画について発信したりする場合は、明確な「答え」を示すというより、ここからどんな「問い」を投げかけられるかを意識しています。
「こう考えるのが正しい」と主張するのではなく、その本を読んで感じた「今こういう議題を論じることが必要では」という私なりの問いを提示すること。
それが文学の研究者とは違う場所にいる「私」が書く理由、つまり私のオリジナリティなのだと思っているのです。
「問いを立てる」のに必要なのは妄想力
「問いを立てる」なんていうと、「観察力とか読解力とか分析力なども必要なんじゃないか」と身構えてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。
大切なのは、「妄想力」です。
たとえば気になっていた俳優があるドラマですごくいいシーンを演じていて、心から感動した。
「なんでこんなに感動したんだろう?」
「恋愛ドラマで両思いになるシーンってよくある気がするけど、実はなんでもないセリフっぽくしゃべることってあんまりないんじゃないか?」
「変なわざとらしさがなくて、そこがよかったのかな?」
「なんで、ああいう自然な感じでセリフを言ったんだろう?」
「あの俳優と役の相性がいいのかな?それとも脚本がよかったのかな?」
...こんなふうに思考を膨らませていく妄想こそが、すなわち「問いを立てる」ということなのです。
「問い」を生み出す言語化を世の中は求めている
そうして立てた問いが共感性の高いものであった場合、大きな反響を呼ぶことがあります。
それを確信させてくれたのが、私が2023年にウェブサイト集英社新書プラスで発表していた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という連載に寄せられた読者の皆さんの声でした。
その大半は「まさに自分もそうだった」という内容でしたが、多くの人たちは、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と問いかけたタイトルそのものに反応してくれていたのです。
私のなかでこの問いが生まれるきっかけとなったのは、2021年に公開された『花束みたいな恋をした』という映画です。
偶然出会った菅田将暉さん演じる麦と、有村架純さん演じる絹。趣味や価値観がびっくりするほどピッタリで、あっという間に恋に落ちたふたりが、時間の経過とともに少しずつすれ違っていくーー。
そんな切ないラブストーリーは若者を中心に大きな共感を呼び、大ヒットを記録しました。
この映画を見て「新しいな」と私が感じたのは、ともに読書が大好きだったふたりがすれ違っていくことを象徴するエピソードとして、「忙しく働き始めた麦が本を読む余裕を失っていく」シーンが描かれていたことでした。
そこから私の妄想が始まります。
これってまさに私もそうだった。
実はこれってよくある話なんじゃないかな?
じゃあ、なぜこれまでこの描かれ方がなかったんだろう...?
それが最終的に、
世の中では、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問題提起がされていないのでは?
という「問い」を立てることにつながったのです。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は2024年に同タイトルで集英社新書から発売され、同じ年に「書店員が選ぶノンフィクション大賞」にも選んでいただきました。
多くの人たちに私が投げかけた「問い」が届いたこと、およびその「問い」に共感してもらえたことで、私は改めて確信したんです。
細かい具体例に気づき、そこから「問い」を生み出すこと。
そういう言語化がまさに今、求められているのではないでしょうか。