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なぜ働いていると本が読めない? 「忙しい」だけではない根本的理由

三宅香帆(文芸評論家)

2024年07月11日 公開 2024年12月16日 更新

三宅香帆さん著『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 (集英社新書)が、発売1週間で累計10万部(電子書籍含む)、7月10日時点で早くも15万部を突破するなど、怒涛の売れ行きを見せている。背景には、忙しいビジネスパーソンの切実な思いを本書が代弁してくれた点があるのかもしれない。

社会人が本を読めなくなる理由について三宅さんは、たんに忙しくて時間がなかったり、書籍というコンテンツを読み終えるのに時間がかかったりするからではないという。『Voice』2024年7月号では、読書の難しさについて、手軽に教養を得ようとする「ファスト教養」の風潮も踏まえながら話を聞いた。

※本稿は、『Voice』(2024年7月号)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
聞き手:編集部(中西史也)

 

社会人にとって読書はノイズ?

――本書は、働いていると本が読めなくなる理由について、明治時代からの読書史と労働史を振り返りながら考えています。なぜこのテーマでの執筆に至ったのでしょうか。

【三宅】私自身、大学院を出たあとにIT企業で働いていたとき、なかなか本が読めなかったんです。知人に話を聞くと、仕事をしながら読書ができないのはどうやら私だけではないようで、これは個人の問題ではなく社会の問題なのではと考えるようになりました。

そんなときに観た映画『花束みたいな恋をした』(2021年)で描かれていたのは、もともと映画や音楽、小説といったカルチャーに明るかった主人公の麦(菅田将暉)が、生活のために仕事を始めた途端、趣味から離れてしまう姿でした。

本作で仕事と文化的趣味の両立についてあらためて考えさせられ、このテーマについて書いてみたいと思ったんです。

――ずばり、なぜ働いていると本が読めなくなるとお考えですか。

【三宅】自分に関係のない知識や文脈を取り入れるのが難しくなるからでしょう。仕事に注力していると、どうしても余暇の過ごし方も「ビジネスに役立つか」「いまの自分にとって効率の良い時間の使い方をできているのか」という発想で考えてしまいますよね。

でも読書という営み、とくに人文書や小説を読んでも「いまの自分」とどうつながっているのか想像しづらい側面があります。仕事で疲れていると、いまの自分とは関係のない外部の文脈にふれにくくなるのではないでしょうか。

――仕事で疲れているときに新しい情報を入れたくないというのはわかる気がします......。

【三宅】そうですよね。書籍のなかでも、ビジネス書や自己啓発書はいまの自分に関係のある知識が書かれていて、「ノイズが小さい」分野と言えます。だから働いていても、それらのジャンルの本なら読める人はいるはずです。

一方で人文書や小説は「ノイズが大きい」。でもいったんふれておけば、すぐには役に立たないかもしれないけれど、将来の自分の助けになるかもしれません。

ここで強調したいのは、本を読めないのは決して悪いことではなく、疲れているときはいったん休んだほうがいいということです。疲れているときは知識を増やすことよりも、自分を守ることを優先していい。そして落ち着いたころに、もう一度読書に戻ってもらえればと思います。

 

入口はファスト教養でもいい

――本書では、「ビジネスパーソンにとって役に立つ教養」が重視される昨今の風潮について、明治時代の立身出世をめざす実践的な「修養」と、大正時代以降に盛んになった人文知的な「教養」が再合流したもの、と述べられています。ということは、手軽に知識を得ようとする「ファスト教養」は戦前から存在したと言えるでしょうか。

【三宅】そのとおりです。日本が欧米列強に「追いつけ・追い越せ」の勢いで成長していた明治時代の修養は大正時代以降、企業の社員教育や自己啓発につながる修養主義と、エリート中心の教養主義に分かれていきました。そして昨今、自己啓発と教養をもう一度結びつけようという風潮が高まっています。それこそがビジネス教養であり、近ごろ「ファスト教養」と呼ばれるものの正体だと考えています。

――「教養」と言うと、一部のエリートのものというイメージも否めません。階級格差という構造は現在も残っているでしょうか。

【三宅】教養の受け手という点では、かつてより格差はフラットになっていると思います。

歴史を振り返れば、明治時代にはそもそも一部の男性エリート層しか本を読めなかったのが、大正時代以降は多くの大衆に広まっていきました。戦後には、読み手のみならず書き手にも女性が増え、老若男女に開かれていったのが戦後読書史の歩みです。

現在も「岩波新書くらいは読もう」という教養主義や地域間の格差はありますが、まずはこれまでの歴史のポジティブな側面を知っておくべきでしょう。

――ただ、近ごろも「ファスト教養なんて教養とは呼べない」という声も少なくないと思います。

【三宅】私は、本格的な教養への入口としてファスト教養的なコンテンツに触れることは決して悪くないという立場です。もちろん、中身が軽めのものだけでは寂しいし、本好きとしては多くの人に本を読んでもらいたい気持ちもあります。

一方で、読書のハードルが高いのであれば、最初はYouTubeのまとめ動画から入ってもいいと思うんです。それに、動画のコンテンツは今後もっとクオリティが上がっていくはずです。

――本を読んでもらえないのは、動画など他のコンテンツに比べて書籍が魅力的ではないという側面もありそうです。

【三宅】私がIT企業で働いていたときも、芥川賞や直木賞を受賞した小説は知らないけれど、ネットフリックスの人気ドラマは観ているという同僚がけっこういました。

ただ、ネットフリックスのドラマは忙しい社会人に優しいファスト的なコンテンツかと言われれば、そうでもありません。一話が一時間を超える作品もあり、全話を観るのは読書よりも時間がかかることも珍しくない。

大事なのは、作品をつくり込んで、見る側をいかに世界観に没入させられるかです。書籍も、たんに短くて読みやすいようにつくるというよりは、この本は自分にとって特別なものと読者に思ってもらえるかが鍵になるのかもしれません。

 

全身全霊をやめよう

――三宅さんは、仕事と趣味を両立できる社会にするために、労働に全身全霊で臨まない「半身」の働き方を提起しています。半身労働社会の例として「週3勤務」や「兼業」が挙げられていますが、本職と兼業の「二刀流」によってむしろ疲れることはないでしょうか。

【三宅】私も、半身の働き方の実現は簡単ではないと思っています。そのうえで大事なのは、一つの仕事以外のノイズに慣れることです。

最近はワークライフバランスの充実や転職・副業が盛んに言われますが、依然として一つの仕事を一所懸命に頑張る人が讃えられる風潮は残っている気がしていて。しかしそうした全身全霊の働き方を肯定するだけでは、ノイズを取り入れる余地が心身ともになくなりかねません。

兼業でいろいろな分野に足を突っ込むのは中途半端だと見なされる向きもありますが、私はそうは思わないんです。一つの仕事に全力を尽くすほうが短期的に得られることは多いかもしれないけれど、中長期的には、半身でさまざまなノイズに触れることが将来に活かされるはずです。

――仕事や職場以外の拠り所をもつことも大事ですね。

【三宅】そうですね。仕事を頑張っている人に伝えたいのは、体力的にはもちろんのこと、「心まで奪われない」ように身を守ろうということです。一つの仕事に全身全霊を注ぐと、そこで評価が得られなかったとき、自分のすべてが否定されたと考えてしまいます。でも、仕事は所詮、仕事にすぎないんです。

――冒頭に挙げられた映画『花束みたいな恋をした』の麦も、半身の働き方を意識していれば、エンタメの趣味を手放すことはなかったかもしれません。

【三宅】麦はもともとカルチャーに全身で浸かっていたので、その全身をひとたび仕事に移すと、働くうえでのノイズである趣味にふれられなくなってしまいました。でも、どちらか一方に全力を傾ける必要はないはずです。

読者の皆さんのなかにも、麦と似たような経験をしたことがある人が少なくないのではないでしょうか。本書は、本を読む人だけではなく、労働と趣味の両立に悩むすべての人に読んでもらいたいですね。

 

著者紹介

三宅香帆(みやけ・かほ)

文芸評論家

文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院博士前期課程修了(専門は萬葉集)。京都天狼院書店元店長。IT企業勤務を経て独立。著作に『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない——自分の言葉でつくるオタク文章術』、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』など多数。

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