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出光佐三 海賊とよばれた男の挑戦

水木楊(元日本経済新聞論説主幹)

2013年05月09日 公開 2022年12月19日 更新

《PHPビジネス新書『出光佐三 反骨の言魂』より》
 

非常識を常識に変える魔法の杖

関門海峡の潮はおそろしく速い。岸から眺めても、ざわめき立つうねりが手に取るように分かる。速いところでは7ノット。時速およそ13キロで、自転車で速度を上げて走るほどの速さである。

大正の初め、この関門海峡で、「海賊」と呼ばれる男がいた。海賊とその部下たちは夜中の12時から2時頃にかけて、漁船たちがエンジン音を響かせながら帰ってくるのを待ち構えている。エンジンは「ポンポン蒸気」と呼ばれたツーサイクルの焼き玉エンジン。海賊たちは音を聴いただけで、どこの船か分かるほど仕事に習熟している。

店から飛び出した彼らは、伝馬船で艪をこぎ、漁船に乗り込む。漁師たちが陸に上がる前に注文を取ってしまう。それからおもむろに彼らの給油船を差し向け、にょろりとパイプを突き出す。船が揺れても、きちんと油の量を計ることのできる計測器を自分たちで考案して作り上げている。目盛りを記した軸を真ん中に通した、透明の駒のような、奇妙な形をした計測器だが、正確である。

 海賊の売る油は、変な匂いがした。それまでの漁船は燃料油に灯油を使ってきたのだが、海賊は軽油を売る。しかも、下級の軽油。これが臭い。しかし、値段が半分になったため、いつの間にか漁船は海賊の勧めるままに軽油に切り替えていた。

燃料油を日本石油などの元売り会社から買ってきてユーザーに売るのは小売りである特約店の仕事である。特約店は下関、門司、小倉、博多など地域別に分かれ、縄張りを作っている。

ところが、縄張りを持たぬ海賊は海上で殴りこみをかけた。文句を言われると、「海に下関とか門司とかの線でも引いてあるのか」と言い張った。海賊と呼ばれるようになったゆえんである。

それから、数年後の大正8年(1919年)2月、海賊は陸に上がり、厳寒の中国東北部(満州)にいた。長春のホテルの中庭である。生やさしい寒さではない。零下20度。鼻水をたらすと、たちまち氷の筋になる。

男の前にはコップが3つ置いてあった。コップには油が入っている。こんどは燃料油ではなく、汽車の車軸油にする潤滑油である。

男だけではなく、青い目の外国人も含めた数人の男たちもコップを見つめている。みな毛布を2、3枚かぶって寒さに耐えている。

3つのコップのうち2つは、スタンダード社とヴァキューム社の潤滑油が入っている。残るひとつは男の会社の油だ。男が自分で苦心して調合した油である。

やにわに男はコップのひとつを高くかざしてから、少し傾け、ひときわ高い声で叫んだ。「見なされ。凍ってはおらん」

男の手にあるのは自分の油で、液状を保っている。他の油は粘度を失い、固体になろうとしていた。

南満州鉄道、通称・満鉄はスタンダード社とヴァキューム社から潤滑油を購入していたが、その潤滑油が厳寒のため凝結して車軸が焼けるという事故に頭を抱えていたのである。潤滑油の実験で、男は勝った。メジャーともセブンシスターズとも呼ばれる巨大外資を追い落とし、満鉄への潤滑油納入を一手に握ることになる。

男の名は、出光佐三。身長1メートル70センチ。当時の日本人としては高い。丸顔だが、余分な肉はついておらず、頬がこけている。髪の毛は短く、額が広い。叡山から降りてきた僧兵の親分のような、荒くれた雰囲気を身にまとっている。声は甲高いが、金属性のキンキンとした響きではない。木管に似てわずかにかすれ、柔らかい。眼鏡の奥にある目は小さく、視力が極端に弱い。その瞳孔は対象の人物や物体を見つめているようでもあれば、その背後にある何かを探ろうとしているようでもあり、捉えどころのない硬い光を帯びている。

舞台は長春のホテルの中庭から、34年後の神戸埠頭に移る。昭和28年(1953年)3月23日早朝、快晴である。

出光は埠頭の突端に立ち、1万8500トンのタンカーを見上げていた。当時としては最大級のタンカーで、真っ赤な腹を喫水線上にさらけ出している。船体はやや灰色がかった青。煙突に赤で出光の頭文字Iが浮き出ている。出光が社運を賭して建造した虎の子の日章丸である。六甲、摩邪の連山が折りしもの朝日を受けてかすかに茜色に染まり、日章丸を見下ろしている。山頂は輝き、すでに朝が訪れている。

出航が近い。行く先はサウジアラビア、ということになっている。出光の手には白羽の矢がある。前日、わざわざ京都の石清水八幡宮を訪れ、心身を清めたうえ、神職の手から受け取った。

出光は日章丸に祈るように軽く一礼してから、タラップを上がった。船内には、宗像神社が祭られてある。船長とともに、二礼三拍の祈願を済ませて、白羽の矢を奉納する。それから船長に密封した袋を手渡した。中にはガリ版刷りの紙が船員の数だけ入っている。

船長は緊張した面持ちにわずかな微笑みを浮かべ、袋を受け取った。日章丸の密命を知っているのは、船長と機関長だけである。

船が鈍いエンジン音を放ち始めた。出光は埠頭に降りる。五色のテープが舞う。何も知らない船員の家族たちがしばしの別れを惜しんでいる。次第に岸壁を離れていく日章丸を、出光は押しつぶされるような思いで見送った。

船の行き先は、実はサウジアラビアの港ではなかった。同じペルシャ湾内ではあるが、その最も奥に位置するアバダン。イランである。

イランはそれより2年前、英国資本のアングロ・イラニアン社を国有化。英国との関係は険悪になり、国交断絶の状態にあった。英国海軍はペルシャ湾を航行するタンカーの無線を傍受して、監視下に置いており、イランから石油を積み出そうとするタンカーがあれば、拿捕も辞さない構えを取っていた。事実、イタリア船籍のローズマリー号は拿補されて、アデンに曳航されてもいた。

日章丸はそのペルシャ湾奥、イランに分け入り、石油を積み出そうとしている。日章丸は出光が保有するただ一隻のタンカーである。拿捕されたら、社運は一気に傾く。しかも、日本は連合国による占領から独立したばかり。連合国の一翼を担った英国の横面を張り倒すような行動に、出光は打って出た。

神戸を出て11日後、マラッカ海峡を抜けたコロンボ沖で、日章丸の船長は東京本社からの無電を受け取った。船長は船員たち全員に行く先がアバダンであることを告げ、ガリ版刷りの紙を配って読み上げた。出光の檄文である。

「……行く手には防壁防塞の難関があり、これを阻むであろう。しかしながら、弓は桑の弓であり、矢は石をも徹するものである。ここにわが国は初めて世界石油大資源と直結した、確固不動たる石油国策の基礎を射止めるのである」

船長が檄文を読み終えると、期せずして船員の間から「日章丸万歳」の叫び声が起き、続いて「出光万歳」「日本万歳」となっていった。

1週間後、「出光興産所属の日章丸、アバダン入港」の外電が世界中を駆け巡った。アバダンに翻る日章旗に、世界中が仰天した。

石油で満杯になった日章丸は、他船との交信を一切止め、ひそかにペルシャ湾を抜け出して、約1カ月後、日本に到着した。戦後、力道山が外国人プロレスラーを打ちのめし、白井義男がダド・マリノからチャンピオンベルトを奪い、古橋廣之進がロサンジェルスのプールサイドに日章旗を掲げたとき、日本人は快哉を叫んだ。しかし、日章丸のイラン石油輸入ほど、敗戦と占領で打ちひしがれた日本人の心を奮い立たせた出来事はないだろう。

イラン石油事件からさらに10年後の昭和38年11月、出光はまたも世間をアッといわせる行動に出た。監督官庁である通産省(現経済産業省)と真っ向から対立し、業界団体の石油連盟から脱退したのである。石油の輸入自由化とともに、国内の「過当競争」をおそれた政府は、設備投資から生産量、場合によっては価格まで統制しようとする石油業法を制定した。出光は業界ではただ一人、この法律に反対し、石油審議会の席上、後の世に残る名セリフを吐いた。

「これは、『学識無経験者』にとっては立派な法律なのでしょうが、私のように石油に一生を捧げている者から見れば、天下の悪法にほかなりません」

並み居る学識経験者たちは、この言葉に目を剥いた。

出光は一途なほど日本という国を愛しながら、国家官僚を徹底して嫌った。戦時中は軍部にも堂々と楯突いた。燃えるようなナショナリストでありながら、第二次大戦前、反米気運の高まる中で平気で米系企業や銀行と手を組んだ。かと思うと、戦後、米国がにらみをきかせる世の中にあって、ソ連からの赤い石油を誰よりも先に輸入した。

出光ほどたくさんの仇名をもらった男は例がない。低能、ヤンキー、海賊、国賊、無法者、一匹狼、アウトサイダー、昭和の紀伊國屋文左衛門、利権屋、盗品故売屋、火事場泥棒、赤い石油屋、横車押し、横紙破り、ユダヤ商人、ゲリラ商人、怪商、快商、土俵際の勝負師、デマゴーグ、アナクロニズム、ニュースを作る男……。

その行動は奇想天外。つねに人の意表をつき、非常識と罵倒される。

だが、時が移ると、世は出光の決断にいつの間にかなびいていた。非常識を常識に変えてしまう魔法の杖を持っているかのようだった。
 

水木楊(みずき・よう)
元日本経済新聞論説主幹
1937(昭和12)年、中国上海生まれ。本名は市岡楊一郎。自由学園最高学部卒業後、日本経済新聞社入社。ロンドン特派員、ワシントン支局長などを経て、取締役論説主幹を務めた。

 

出光佐三 反骨の言魂(ことだま)日本人としての誇りを貫いた男の生涯

水木楊著
本体価格900円   
戦後日本人が意気消沈する中、国に逆らい日章丸をイランに派遣した出光。海賊と呼ばれた男の半生を活写し、その熱き言葉を披瀝する。

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