ダンサーや振付家、また近年は教育者として幅広く活躍するTAKAHIRO(上野隆博)氏と、初著書『世界はラテン語でできている』(SBクリエイティブ)が話題となったラテン語さん。異なる領域で活躍する二人が、「言葉」をテーマに互いの世界を思索する。
構成:編集部(田口佳歩)
※本稿は、前後編の前編です。『Voice』2026年7月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
言葉に出合ったきっかけ
【ラテン語さん】私は元欅坂46の佐藤詩織さんのファンで、振付けの指導を担当されているTAKAHIROさんを以前から存じ上げていました。
欅坂46の活動を追ったドキュメンタリー映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』(2020年公開)で、感動したシーンがあります。「二人セゾン」のセンターを任された小池美波さんが自信を失ってしまったとき、「僕は、二人セゾン(のセンター)は小池がいいと思っています。なんでも強くて、なんでもできる人がやれる曲じゃないと思うんだよね」と素敵な言葉で優しく語り掛けていたのがずっと印象に残っています。
【TAKAHIRO】あのような言葉を、ラテン語で言えたらカッコよかったんですけどね......(笑)。映画も観て下さっていたとは、ありがとうございます。
【ラテン語さん】いえいえ(笑)。
【TAKAHIRO】ラテン語さんの新著『今に生きるラテン語を求めて』(PHP研究所)を拝読しました。少し読み始めただけでも、世界の見方がブワッと広がります。頭のなかに自分の「常識」が一軒家のように出来上がっているとしたら、「こんな部屋があったのか」と一部屋増えたような。
ラテン語は古代語ですから、当初は「化石」のようなものとして造詣を深めるものと思っていました。でも実際には、今でもバチカンの儀式などで使われているんですね。
【ラテン語さん】そうなんです。また、本書でも紹介しているように、私はイタリアの寄宿学校ヴィヴァリウム・ノヴムに滞在した経験がありますが、そこでは朝から晩まで先生と生徒たちがラテン語で会話していました。私も現在、世界中のラテン語話者とはラテン語で会話していますね。
【TAKAHIRO】ラテン語はスペイン語やイタリア語など多くの言語の源流でありながら、今なお生きているんですね。
それから、本書のコラム「古代ローマにない言葉辞典」には、新しい言葉をどのようにラテン語で表現できるかが紹介されていて、たとえばATMならば「machinatio automataria pecuniae hauriendae 」(=お金を引き出すための自動装置)と書かれています。いろいろと考えさせられて、なんだかワクワクしました。
【ラテン語さん】この世の中を広い視点でご覧になっているTAKAHIROさんにそんなことを言っていただけて、本当に嬉しいです。
私もTAKAHIROさんの新著『絶対に前向きになれる40の言葉』(PHP研究所)を読ませていただきました。これはまさしく、本棚に常備しておきたい一冊ですね。私はもともとネガティブな性格で、これまでもなかなか一歩を踏み出せないことがよくありました。また、研究や執筆をしていると、人との関わりが少なく、孤独になりがちです。そんなとき、TAKAHIROさんの温かい言葉に背中を押してもらっているように感じます。
同時に、本書を読み進めていくうちに、自分が前向きになること――たとえば自分から挨拶したり、名前を丁寧に呼びかけたりすることで、周りもハッピーにできるのではないかとも気づかされました。世界の平和が脅かされ、「SNS疲れ」なども語られる現代にこそ、広く読まれるべき本だと思います。
【TAKAHIRO】ありがとうございます。そもそも、ラテン語さんは、どのようなきっかけでラテン語に出合ったのですか。
【ラテン語さん】じつは私は、ディズニーマニアなんです。東京ディズニーランドやディズニーシーにあるものは、外国語であっても理解したかった。すると、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタに飾られていた地図の説明がラテン語で書かれていて、「これも読まなければ」と思ったのが最初でした。ちなみにディズニーシーの開園日は9月4日なんですよ。
【TAKAHIRO】あら、僕と同じ誕生日。
【ラテン語さん】そうなんです。TAKAHIROさんは、どのような経験から、シンプルな言葉や前向きな声かけを大切にされてきたのでしょうか。
【TAKAHIRO】大きなきっかけは、二つありました。一つはアメリカに住んだこと、もう一つはダンスの振付けを始めたことです。
アメリカには大学を卒業して就職したあとに渡り、約10年住みましたが、はじめ英語はほとんどできず、聞きとれないし話せませんでした。そのなかでサバイブするためには、要点をおさえた短い言葉で伝えることに全力を注ぐ必要があると考えました。
そしてその後、振付家として仕事をするようになると、ダンスの動きやそこに内包される感情を、アーティストさんに伝えなければいけません。その際、視覚だけですべて伝えるのはなかなか難しく、言葉で伝えるしかない。その経験を何百回と重ねるなかで、「伝える力」が自然と磨かれていったのでしょう。
どのような声かけが空気を明るくし、より良い作品を生むのか。たとえば、目の前の一人だけが相手ならば、視覚情報だけでも振付けを伝えられるかもしれません。でも、目の前に20人、30人、あるいは100人がいるスタジオで、一番奥の人にも均一な振付けを届けるには、やはり「言語」ですべての動きを想像してもらう必要がある。その際に心がけたのが、なるべく具体的で前向きな言葉を届けることでした。
このように、アメリカで培った「端的であるべき」という経験と、振付け指導を通した「具体的で前向きな言葉を使う」ことの学びは、言葉への向き合い方を大きく変えました。
【ラテン語さん】TAKAHIROさんが、いかに言葉を大切にされてきたかが伝わってきました。
ラテン語でも、「読むこと」と「使うこと」には違いがあると感じます。何が書いてあるかを「読む」だけであれば、辞書を引くだけである程度は理解できるかもしれません。ですが、ラテン語を「使える」ようになると、「自分だったらこういうラテン語を書くのに、なぜ作者はこういう語を選んだのか」「なぜ作者はこの語順で書いたのか」と考えるようになります。このように、自分と作者の見ている世界の違いを探る視点は、言語を「使える」ようになって、初めて見えてくるものだと思います。
「古い」言葉と流行語
【TAKAHIRO】ラテン語さんは、ラテン語も現代の言葉も使用されています。それぞれにどのような善し悪しがあると感じていますか。
【ラテン語さん】まず、ラテン語のような「古い言葉」には、二千年以上もその言葉を使って何かを伝えようとした数多の人びとがいた、という価値がありますよね。一方で現代のシンプルな言葉、たとえば「流行語大賞」になるような言葉にも、その世代の人には「刺さる」力があります。古臭さを感じさせずにコミュニケーションできるという意味では、そうした言葉にもポジティブな価値があるはずです。
ただ、今お話ししたような「古い言葉」は、政治的に利用されやすい側面もあります。たとえば、戦前のイタリアの独裁者であるムッソリーニの時代を賛美する「道具」として、ラテン語が悪用されたこともありました(The Codex Fori Mussolini: A Latin Text of Italian Fascism)。
【TAKAHIRO】たしかにそうですね。「古い言葉」について言うと、それはすなわち時代性を帯びた言葉でもありますよね。だからこそ、その時代性を共有できる相手に対して「あえて」使うことで、感覚を共有できることもあると、私は考えています。
たとえば、大先輩と食事に行ったとき、「お先に失礼します」ではなく「お先にドロンします」と言うと、笑ってもらえたり(笑)。でも、その言葉を今の若い人に言っても、理解できる人は少ないでしょう。ラテン語さんは、「とっぽい」という言葉はお使いになりますか。
【ラテン語さん】TikTokで見かけたことがある気がしますが......。
【TAKAHIRO】私たちの世代のあいだで使われていた、「気障で不良じみている」という意味の俗語です。このように、「古い言葉」は使いどころを誤ると理解されず、時には逆効果のこともある。
でも、私は「古い言葉」をまったく使わなくなるのは、それももったいないと思うんです。ですから、「ガビーン」とか「エンガチョですよ」などのような言葉を、通じる方々には使うようにしています(笑)。それこそ、ラテン語話者同士にも、そうした「空中戦」のようなやり取りはあるのでしょうか。
【ラテン語さん】文学作品からの引用を会話に入れることはありますね。イギリス人が、あえてシェイクスピアの作品で使われていた言い回しを交えて話すようなものでしょうか。情報伝達の機能でしかなかった言葉のやり取りに、「お先にドロンします」のような娯楽が加わるのは面白いですよね。
【TAKAHIRO】たしかにそうですね。じつは振付けにも、「ドロン」を入れたことがあるんですよ。櫻坂46の「ドローン旋回中」という楽曲で。
【ラテン語さん】振付けの意味には気づきませんでした......。
【TAKAHIRO】ぜひ、この機会に確認してみてください。一方で最近は、何でも「やばい」で済ませてしまう。この一語で多くが包括されているわけですが、本来ならばその時々の繊細な感覚にぴったり当てはまる日本語があるはずで、それを用いることで「ぐっとくる」良さもあったと思うんです。
たとえば、期待される物語が始まる瞬間を「まさに黎明のときだね」と表現すれば、相手によっては明け方に光が差してくるようなイメージとともに伝えられるでしょう。でも、今ではそれを「やべータイム!」という言葉で済ませることもできてしまう。
しかしそのとき、相手の「やばい」と自分の「やばい」の想像するものが、ずれていることも少なくないのではないでしょうか。「青い服もってきて」と言うときでも、藍色や群青色などの言葉を用いていれば、より繊細に自分の意図を伝えられたはず。
でも、今は感覚的な言葉が増えているように思います。本来の日本語には細分化された言葉がもっとあったはずなのに、それらが「古い」という一言で片づけられてしまっているように感じます。
ちなみに、ラテン語にも今の「やばい」のような若者言葉はあるのでしょうか。
【ラテン語さん】そうした日常会話で使われるような口語は、記録にはなかなか残らないんですよね。残っているのは主に文学作品に用いられていた言葉ですから。ただ、喜劇作品に「こういうセリフがあった」ということから、当時の一般的な人びとの話し言葉を推察することはできます。
【TAKAHIRO】ロマンですね。「やばい」や、いまや死語の「アッチョンブリケ(驚いたときや怒ったとき、感動したとき、悲しいときなどに口にする言葉)」に一番近いラテン語を挙げるとしたら何がありますか。
【ラテン語さん】ラテン語には、「しまった!」という意味の「Perii!(ぺリイー)」という言葉があります。喜劇のセリフに登場するので、会話でも使われていたのでしょう。
ただ、「くそっ」という意味合いのラテン語があるかはわからず......。というのも、私が滞在したヴィヴァリウム・ノヴムでも、先生の厳しい目がありますから、そういう言葉を使う機会がなく(笑)。ちなみに、「Perii!」は、直訳すれば「私は死んだ」です。
【TAKAHIRO】なるほど。そういえば最近のTikTokで、語尾やハッシュタグに「しぬう!」と付けるのが流行っていませんでしたか。「Perii!」はあれと近いかもしれませんね。
【ラテン語さん】たしかに似ている気がします(笑)。フランス語であれば、「Zut !(ヅュット!)」という言葉が「Perii!」と近いように思います。