ラテン語は「死語」と思われがちだが、今もラテン語で話し、教え、発信している人たちがいる。ボローニャで出会ったイタリア人女性もその一人だ。高校2年生でラテン語の学習を始め、2016年からX(旧Twitter)でラテン語の魅力を毎日発信し続けるラテン語さん(東京古典学舎研究員)。その新著『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』から、現代においてラテン語を生きた言語として使い続ける女性の物語を紹介する。(写真提供:ラテン語さん)
※本記事は、『今に生きるラテン語を求めて 「永遠の都」ローマ滞在記』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
ラテン語でボローニャに招待された
今日はヴィヴァリウム・ノヴムを一時的に離れ、イレーネに会いにボローニャに向かう。イレーネはイタリア生まれのラテン語の先生で、「Satura Lanx」(様々な果物が載った大皿)というYouTubeチャンネルも運営し、動画では最初から最後までラテン語で話している(音声版はポッドキャストで聞くことができる)。とある動画の始まりは、このようなものであった。
Salvete et bene venistis apud Saturam Lancem. Mihi nomen est Irene, natione Itala, nata sum in Italia.
こんにちは。そして、Satura Lanxにようこそ。私の名前はイレーネで、イタリア生まれのイタリア人です。
私のイタリア滞在中に、同じくイタリアに住むラティニストのイレーネとも話したいと思い、私からコンタクトを取った。彼女はローマから遠いパルマに住んでおり、当初は会うことが難しかった。しかし、イレーネから「近々ボローニャに行くから、そこで会えないか」というメッセージを受け取り、その地で会うことになった。
Salvus sis! Die 28 huius mensis Bononiam petam ut vesperi cum grege concinentium concentum edam. Si volueris tu quoque Bononiam petere (iter a Roma est II horarum tramine ferriviario), possim tecum diem agere antequam mihi canendum est! Quid censes?
こんにちは! 今月28日に、合唱隊と夕方に合唱するためにボローニャに行くんだよね。あなたもボローニャに行きたいと思うなら(ローマからは鉄道で2時間)、私は合唱の前に日中あなたと過ごすことができるけど、どう?
ボローニャの街は「屋根付きの歩道」で覆われていた
約束の時間よりだいぶ早くボローニャ中央駅に着いたので、市内を散策する。ボローニャの町にある建物は上層階が歩道にせり出しているため、歩道に屋根があるような状態になっている。この屋根のおかげで、雨の日でも濡れずに通りを歩くことができる。これは「ポルティコ」(portico)といい、日本でも同種の「雁木」が本州の日本海側の町で見られる。
幼い頃から突出した言語の才能
広場に行く途中、私たちはFORNO BRISAというベーカリーで軽食を食べることにした。私は、彼女がどのようなきっかけでYouTubeチャンネルやポッドキャストを開くことになったのかを尋ねた。
ミラノ生まれのイレーネは子供の頃から言語の能力が突出しており、幼いながらも複雑な文を組み立てて話すことができていた。さらに、子供向けの本だけではなく、大人が読むような難しい本も読むことができた。彼女が高校(リチェオ)を選ぶ際、様々な種類の高校がある中で、数学や英語、歴史や科学のみならずラテン語と古代ギリシャ語を教えるリチェオ・クラッシコに進もうと決心した。決める前はその2つの言語に触れていなかったが、「自分はリチェオ・クラッシコを好きになるだろう」と思ったらしい。
この学校のラテン語、ギリシャ語の先生は、授業中にラテン語で話すことはしていなかったが、イレーネがラテン語、ギリシャ語を特に好いているのを感じ、彼女に、自分と一緒にミラノラテン語サークル(Sodalitas Latina Mediolanensis)の会合に参加するようにすすめた。先生自身も、ラテン語が話せるのである。
はじめはうまく話せなかったイレーネも、このグループの会合に何回も通って、話す回数を重ねることで会話が上達していった。さらに、ウィーンなどヨーロッパ各地で開かれるラテン語サマースクールに参加し、ラテン語会話の経験を積んだ。
大学で「ラテン語を話せること」を隠さざるをえなかった
しかし、大学に入るとラテン語を話すのをやめてしまった。というのも、教授たちがそのような行動を馬鹿にしていたからだ。大学生活を通してイレーネは、自分がラテン語が書け、話せることを隠さざるをえなかった。
大学卒業後に結婚し、夫の仕事場があるベルギーに移り住むと、長年の夢であったラテン語教師になることを目指して教員免許を取得し、ラテン語を教えはじめた。公立校でも私立校でも教えていたが、私立の方が自由度は高く、ラテン語、ギリシャ語で両言語を教えられるところもあった。ただし、そのような学校が全てではなく、たいていの学校は教員がやりたいように授業を行う自由がなかった。
「ないんだったら、自分で作ればいいのよ!」
それでも「ラテン語やギリシャ語を話すことは楽しいだけでなく、語学力の向上に大いに役立つ」と確信していたイレーネは、自分で教える場をインターネット上に開設して、オンラインでラテン語を教えはじめた。
私は、彼女の行動力に驚嘆した。被雇用者として望み通りのやり方で教えることができなければ、自分で学校を開いて世界中から生徒を募集する。中学2年生の時に見ていたアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公・涼宮ハルヒのセリフ「ないんだったら、自分で作ればいいのよ!」が思い出された。
ラテン語の学校を開いたところで実際に人は集まるのか? と疑問に思う人もいるかもしれない。だが、ラテン語でラテン語を学ぶ需要はたしかに存在し、私も5年前に彼女のコースを取っていた。それだけでなく、私は同じくイレーネからラテン語を学ぶ人たちと定期的にインターネット上でビデオ通話をしていた。
私のかつてのマギストラ(magistra、ラテン語で「先生」)との会話を楽しんでいるうちに、フォカッチャを食べ終えた。マッジョーレ広場へ再び歩を進めよう。