「部長」「課長」「リーダー」――会社で働く中で、前述のような肩書きが与えられた人がいるかもしれません。「肩書きが与えられた=功績が認められた」ということではありますが、「肩書きに自分の人格とプライドを依存させるのは危険」だと、株式会社圓窓代表の澤円さんはいいます。
本稿では、肩書き抜きでも自分の持つ価値を高められる1つの方法を見ていきましょう。
※本稿は、澤円著『思考をアップデートする全技術』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
肩書きをプライドにするのは不幸の始まり
自分をより深く理解するには「他者から与えられたもの」に振り回されていないか、そこに注目することが大切です。そして、他者から与えられたものの1つが「肩書き」です。その意味で、僕は肩書きというものにほとんど興味がありません。
日本では高い役職名がつくと、とてもポジティブに受け取ってもらえて、お祝いの言葉をもらえます。すると、称号にプライドが芽生えやすくなります。僕は、所属していた企業から割と高い肩書きを与えられたこともありましたが、そこに自分のプライドを合わせていませんでした。本質的に役職というものは、「企業の顔としての自覚をより一層持ちましょうね」という意識を起こすための称号だと捉えていたからです。
僕がやってきた仕事が会社に認められ、仕事ぶりを評価してくれる人たちが会議などで推薦してくれて、承認するプロセスがあってこそ肩書きは付与されました。ですから、僕のために時間を割いてくれた人がいたことに対してとても感謝しています。喜んでくれる人が周囲にたくさんいることも、僕にとっては嬉しいことでした。
それでも、僕にとって肩書き自体は自分の本質とは別の存在だったのです。周囲の人が喜んでくれていることに対しては、心から感謝して「ありがとう」と言います。でも、僕としては「名刺に追記するものが増えた」という受け取り方をしていただけでした。
肩書きがついて周囲の人が喜ぶ出来事を経験したときに「日本人は本当に肩書きが大切だと思っているんだ」とあらためて肌で感じました。でも、肩書きって「与えられたもの」に過ぎませんよね?
肩書きとプライドを一致させる必要はない
会社から与えられた肩書きは、時として「君はこの肩書きに合わせた状態で動きなさい」という指令のようなもので、これもある意味では同調圧力かもしれない。だって、肩書きとその人物の重要性はまったく相関しないのだから。また、肩書きというのは組織のあり方次第でなくなってしまうこともあるような、頼りない存在だったりします。
それなのに役職的に高い肩書きを与えられると、そこに自分のプライドを合わせてしまう人が本当にたくさんいます。それこそが不幸の始まりです。その肩書きがなくなった途端にプライドごと「自分」がなくなってしまうからです。「あったもの」がなくなることに人は強く抵抗するものですが、やはりそれは、肩書きという与えられたものに自分のプライドを寄せてしまった自業自得に過ぎないのだと思います。
このことをある大企業の社長と語ったことがあります。僕は彼のことが大好きで、個人的にも親しくさせてもらっていました。実は、彼は何度も肩書きを「ゼロリセット」されたことがあるそうです。若くしてある企業の日本支社長などを経験しましたが、その後、転職したときに平社員に逆戻りしたこともあったそうです。それでも、今はまた社長にまで上り詰めました。
彼は上昇志向が極端に強かったり、他者を蹴落としてでも上に行こうとしたりする利己的なタイプではありません。むしろ、社内政治のような世界からは距離を置き、独自路線を貫くタイプだと僕は見ています。そして、そんな彼と話していて深く賛同したのが、まさに「肩書きと自分の人間としてのプライドを合わせる必要はない」ということでした。
年功序列と終身雇用によって1つの会社で一生を終えることが前提になっていたかつての日本では、少しの肩書きの違いにこだわったり、社内で肩書きをつけて呼び合ったりするカルチャーがありました。それが残る会社は今でもたくさんあります。
ある商談のときに、若手の営業担当が製品説明をしていると、商談相手から「君、わかってる?私は部長だよ?」と言われたという話もあります。その人は、「部長である自分には無条件に価値がある」と、肩書きとプライドを一致させてしまったのでしょう。そうなると、異動や定年などでいずれその肩書きがなくなったときに、アイデンティティ・クライシスまっしぐらです。
自分の業績を認められたら、それにプライドを持つのは悪いことではありません。ただ、与えられた肩書きに人格とプライドを依存させるのは極めてリスクがあり、もっと言えばカッコ悪い生き方ではないかなと僕は思います。
副業ではなく「複業」で自分の価値を強める
では、僕が考えるカッコいい生き方とは何か?それは、次のような生き方です。
「自分のプライドを、自分でつくり出す生き方」
だからこそ、僕たちは「外のものさし」を持つ必要があるのです。「外のものさし」をしっかり持っていれば、外の世界で通用しない肩書きなんて必要ありません。「外のものさし」に晒されることは、アウェーで価値が問われることだからです。
自分には価値があるということを外の世界で知るためにも、僕は組織で働く人に対して「複業」を強く勧めています。僕は「副業」ではなく、あえて「複業」という字を使います。その理由は、本業あってのサブの仕事という意味ではなく「どれも本気で取り組む同じ重みを持つ複数の仕事」であることを表現したいからです。
僕はマイクロソフトにいたとき、複数の肩書きを持っていました。マイクロソフトの肩書きと同時に、琉球大学の客員教授や複数のスタートアップ企業の顧問、NPOのメンターなどさまざまな顔を持っていました。すると、異なる組織の人間と関わることになり、その組織によって自分を評価して頼りにしてくれる人はまったく違うものになりました。
もちろん、そんな場所では所属企業の名刺は使いませんでしたし、使う必要もありませんでした。自分単体のバリューで勝負するし、また役に立とうとしたからです。すると自然と「肩書き抜きで自分はどうすれば役に立つことができるのか?」という考え方、つまり「外のものさし」を持つことができました。自分の得意分野や貢献できるものを客観視できるようになったのです。
このような豊かな経験を組織に還元できる人間は、その組織でも大いに力を発揮できることになります。複業することが、自分にとっても組織にとっても良い循環になっていくというわけです。
「そんなの、うちの会社では還元できないよ......」
そう感じたら、それは「転職=職業をアップデート」するチャンスかもしれません。適性が合わないところで働いている、何よりの証拠だからです。