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Moguru(本の話)

連載小説「NY襲撃」 プロローグ 高嶋哲夫

高嶋哲夫(作家)

2026年09月24日 公開

SP・明日香が次に護るのはNY!? 「襲撃」シリーズ第三弾。

 

プロローグ

夕暮れの光が、焼けた土壁に鈍く貼りついていた。

スーダン、地図から切り取られたようなダルフールの小さな村は、静まり返っている。家々は半分崩れ、残った壁には無数の銃弾の痕(あと)が刻まれている。屋根は落ち、梁(はり)はむき出しのまま空を指している。そこに暮らしがあった痕跡は、もう形を保っていない。数年前、戦火を逃れてきた難民が数十人やってきて、住み着いた村だ。連絡が取れなくなって、一週間がすぎている。国連の連絡事務所から様子を見てくるようにと、地区の難民代表であるアーメドに指示があったのだ。

この村には、確かに人がいた。朝があり、食事があり、眠りがあり、明日があった。貧しいながらも家族の生活があった。そのすべてが、ある瞬間に断ち切られた。音が沈黙に変わり、風が止まり、人の気配が消えた。世界から切り離されたような場所で、時間だけがすぎていく。

熱をたっぷり含んだ空気が村中に淀んでいる。突然恐怖が全身を包み、アーメドの足が動かなくなった。恐れるな、アッラーが付いている。

アーメドは意を決して一軒の家に近づいていった。思わず息を止める。強烈な臭いが家の中から流れてきたのだ。

「腐臭だ。何なんだよここは」

アーメドは口元を抑えた。かろうじて吐き気を抑えたのだ。顔を背けるようにして家の中に入った。

薄闇に目が慣れてくると、テーブルに皿が散らばっているのが見えてくる。上げそうになった声を呑み込んだ。皿の黒い染みが形を変えたのだ。と、思うと四方に散っていく。ハエだ。その他には――何もない。音も、人の息づかいも、気配も、すべて消えている。

全身が硬直するのを感じた。床には人が倒れている。一人、二人、三人......子どもを含めて計五人の男女が倒れていた。その他に壁際のベッドに数人。鼻と口周りが黒ずんでいるのは、血を流したのか。しかしそれはすでに固まっている。顔を近づけると、血は床に広範囲に流れている。目を見開いたままの遺体もある。見たところ、外傷はない。

「近づくな。伝染病かもしれないだろ」

入り口に立つ男が叫ぶように言う。

「死後、十日というところか。それにしても、腐敗がかなり進んでいる。これをどうしろというんだ」

「伝染病だとしたら、早くここから出た方がいい」

「他の家も調べるんだ。遺体には触るんじゃないぞ」

アーメドの言葉で部下たちは家を出て行った。

 

三十分後にはアーメドたち五人は広場に集まっていた。

「難民五十九人が全滅なのか」

誰も否定しないということはそうなのだ。

「燃やした方がいい。政府は何もしてくれない。我々を追い出す口実にするだけだ」

「マズいだろ。なんで死んだか調べる必要がある。五十九人全員だぞ」

小屋は全部で五軒。それぞれに十人以上が住んでいた。

「全員が血を吐いていた。外傷はなし。伝染病だろう。俺は国の病院で見たことがある。エボラかラッサ熱か。いずれにしても致死率の高い感染症だ」

コロナ禍が頭をよぎった。あの時も一家全滅という家が多くあった。しかしこれほどひどくはなかった

「放っておくとすぐにこの辺り一帯に広がるぞ」

「そうだ政府に知られると、俺たちはこの国にいられない」

アーメドは懸命に考えを巡らせた。現在祖国は内乱で虐殺が続いている。国に送り返されるということは、死を意味している。政府に知られる前に何とかしなければ。

「ガソリンはあるか。車に積んでるだろ」

「あれは帰り用だ。村を探せ。車があるのだからガソリンもあるだろう」

それから十分もたたない間にガソリンの入ったポリタンクを三缶見つけた。

「死体を集めろ」

「バカ、死にたいのか。絶対に触るな。俺は感染したくないね」

結局、各家に火を付けることになった。

二時間後には、サバンナの中に黒い灰になった家の焼け跡があるだけだった。遺体はその中だ。

遠くから動物の鳴き声が聞こえてくる。この場所からは、人の痕跡は消し去ったはずだ。沈黙がすべてを覆っている。夕日がさらに低くなり、影が長く伸びる。焼け残った柱が、何かを訴えるように地面に影を落とす。熱のせいか、灰がわずかに舞い上がる。人の魂が最後の主張をしているようだった。

アーメドたちは逃げるように車の方に走った。

 

低いエアコンの音が聞こえる。スーダンの首都ハルツームのホテルの一室だった。女一人と五人の男がテーブルに置かれたパソコンの画面を見ていた。

「これはドローンから見た風景です」

ミハエルはアケミにディスプレイを向けた。鮮明な画面の中央に一本道路が通っている。スーダンとリビアの国境をまたぐ道路だ。

「現在、時速九十キロです」

「何キロまで出るの」

「百五十キロです」

「出してみて」

アケミの言葉でミハエルがコントローラーを操作する。風景の流れがさらに速くなる。

「音は聞こえるの」

ミハエルの操作で、パソコンからエンジン音と風を切る音が聞こえてくる。

「見えているのはここから二十キロ南の景色です」

「目の前の風景みたいね」

「おっしゃられたように、実戦形式にセットしています。五キロのC4爆弾をドローンに積めばビル一つを吹き飛ばせます」

「操縦は難しいの」

「初めはね。でも慣れれば小学生にも出来ますよ」

「じゃ、何が難しいの」

「あえて言えば、精神ですかね。何としても、やってやろうという強い心です。なんせ、自分の意思で数十人、あるいはそれ以上の命が消え、助かっても手足が吹っ飛ぶのがほとんどです」

ミハエルは平然とした表情で言う。

「あんたにも同じ責任があるってことよ。売るのと買うのとは一体なのよ。つまり同じ責任ということ」

アケミはディスプレイを見つめている。

「高度を下げて」

大地が見る間に近づき、衝突寸前に高度が上がる。

「時速は百五十キロです。積載最高重量十二キロ。飛行距離は百キロです。一機千ドル」

「まさに貧者の戦闘機ね」

「言葉が悪いですよ。大量生産で価格破壊です。これでビル一つが破壊できるんですから」

「やってみてよ」

ミハエルの動きが止まり、アケミの顔を見た。

「ビルならいくらでもあるでしょ」

アケミがコントローラーを覗き込んでいる。

「破壊できると、破壊したとでは天地ほどの違いがあるの。出来ないのであれば、この取引はゼロ」

ミハエルはまだ迷っている。

アケミが腕を伸ばしてコントローラーのレバーを引いた。ドローンは急激に高度を落としていく。

「ドッカーン」

アケミが呟く。

「何人の人が犠牲になったかしら。数十人、数百人。今の時間だときっとあとの方ね」

「ここらで戻しましょう」

「あれは何なの」

一本道の正面から一台のトラックが向かってくる。積載量二十五トンの大型トレーラーだ。

「おそらく、ガソリンを積んでいるのでしょう」

「アレで試して」

ミハエルは再度アケミを見た。アケミは画面をのぞき込んだままだ。

「急いで。通りすぎるでしょ」

ミハエルはアケミにコントローラーを渡そうとした。

「あなた、やってみて。私は見てる方が好きなの」

ミハエルはディスプレイを見たままだ。

「早くしてよ。出来ないの。じゃ、大したことないんだ」

有無を言わせない言い方だった。

高度が下がり、ディスプレイの中の風景が急速に近づく。

突然画面が消え、ノイズのみに変わる。

「衝突し、爆発しました」

ミハエルの顔は蒼白になり、声は震えている。

「成果は分からないのね」

「カメラも一緒に吹き飛びますから。明日のニュースか新聞を見てください」

「あんなことでニュースに出るの」

「テロリストの仕業としてね。ドローンの破片は残りますから」

「ドローンで足が付くことはないの」

「ロシア製のものです。盗まれたドローンが反ロシア勢力に使われたと宣伝しておきます」

「でも目標到達率は二十パーセントなんでしょ。大抵は撃ち落とされる」

「それは戦地の場合です。飛んでくるのを敵が待ち構えている。だから撃ち落とせるんです。迎撃体制のない所では、自爆確率はほぼ百パーセントです」

アケミは考え込んでいる。

「色々やりにくくなってる。数年前はもっと単純だった。爆弾、自爆テロ。無差別銃撃。航空機やトラックの暴走もあった」

アケミのスマホが鳴り出した。

〈スーダンの結果が出ました。タブレットに写真を送りました〉

アケミはタブレットを操作した。ディスプレイには燃え尽きた難民キャンプが写っている。

〈難民五十九人、全員が死亡しました〉

「致死率百パーセントか。痕跡は」

〈保健省がウイルスと宣言しています。早期発見で、未然に流行を防いだと〉

「何も爆弾だけが大量殺害兵器ではないわけだ」

〈インフラ、建物、すべて元のままでした。まさに、貧者の核兵器です〉

「新しい情報が入り次第、報告して」

アケミはスマホを切った。

「コロナ禍では全世界で約五百万人の人が死んだ。あれも、中国武漢の市場から始まったと言われているが、確定された事実じゃない。結局、WHOも曖昧にしたまま放っておかれている」

ミハエルが言い訳のように言って続ける。

「難民五十九人が不明のウイルスにより死亡が確認された。そのため、焼却によつて、伝染を阻止した」

「何でもアリの国よ。世界から忘れられた国家。世界は新たな戦争に突入した」

「明日にでも人を派遣して、何も残らないようにしておきます」

「その必要もないでしょ。難民が数十名死んだからって、誰が調査なんてするの。我々が何もしなくても、彼ら自身がやってくれる」

アケミが笑みを浮かべてミハエルを見た。

「いいことを教えましょうか。現在、行なわれている戦争、ウクライナでは十四万人、ロシアでは三十二万人が死んでいる。イスラエルはガザで七万五千人を殺している。イランでは、千九百人の人が死んだ。これらの殺し合いで誰か罰を受けた?歴史はどう捉えるでしょうね。どう、少しは気が楽になったかしら」

ミハエルは答えない。

「ほとんどマスコミには上がっていません。反政府勢力の殺戮(さつりく)ですか。日常茶飯事ですがね。すべては闇の中。すでに燃やされて何も残ってはいません」

「世界は混沌に満ちていると言うことね。それが政治というものなんじゃないの。我々にとっては好都合でもある」

「入国には税関を通らなければなりません」

ミハエルが話題を変えるように言う。

「私には強力な守護神がついている」

アケミはかすかに笑みを浮かべた。

 

ホワイトハウスの奥、扉を閉ざしたアメリカ合衆国大統領執務室、オーバル・オフィスは、名のとおりゆったりした楕円の空間だ。

壁には歴代大統領の肖像が並び、窓からはホワイトハウス中庭の芝生が見える。

部屋の中央には、英国から贈られたレゾリュート・デスクが置かれ、使い込まれた木肌が長い時間の重みを物語っていた。

足元の絨毯には大統領章、アメリカンイーグルが織り込まれ、そこに立つ者の力を無言で示している。暖炉の上には初代大統領ジョージ・ワシントンの肖像が掲げられ、部屋全体に歴史と権力の気配を醸し出していた。外の喧騒はここには届かない。しかし、机の上に積まれた書類の一枚一枚が、世界の動きを決める場所であることを厳かに告げていた。

アルフレッド大統領は立ち止まり息を吐いた。デスクの背後の星条旗と共和党の旗が自分を見つめているような錯覚に陥ったのだ。

一年前は次期大統領候補は、自分に間違いないと言われていた。ニュー・イスラミック・ステイト、NISに狙われ、母親を殺害された娘を日本から連れてダレス国際空港に降り立った時は、マスコミ、国民は私のことを強い大統領として褒めたたえた。それがどうだ。一年もたたない間に、そんなことは忘れ去られている。「アメリカ合衆国建国以来の八十代大統領」「二期の終わりには八十六歳」と、歳のことばかり耳に入ってくる。国民は常に次の話題を求めているのだ。

あの娘、エリーゼ・エゾトワと言ったか。FBI保護プログラムでこの国のどこかで暮らしているはずだ。

来月には、国連で日本の前総理がスピーチする。彼女は現在、政界を引退して、「ワールド・セイフティ」を立ち上げた。国連で、彼女とエリーゼと一緒にマスコミの前に出れば、もう一度強い大統領として国民に印象付けられる。

「あの少女は今どこで暮らしている。去年、日本から連れ帰った、母親の代わりに世界に向けてスピーチをした子どもだ」

大統領は秘書に聞いた。

「直ちに調べさせます」

秘書は一礼して出て行った。

 

多摩川の流れがゆったりと広がり、川幅は河原を入れて二百メートルほど、流れも穏やかになる。両岸の土手は高く整えられ、その上には真っ直ぐな遊歩道が続く。

草地の河川敷には風が渡り、空は広い。朝も夕も、光はやわらかく水面に反射し、のどかな風景が続く。

明日香(あすか)はその土手を走っていた。足音と呼吸だけが響き、頭の中を空白にすることが出来る。視線の先には、住宅と点在するビルが並ぶ。都会ではあるが、どこか別の場所のようだった。

明日香は立ち止まった。職業柄というか、何か違和感を覚えたのだ。

土手の下の河原に数人の子どもたちがいる。五人の高校生の中に一人の小柄な少年が座っている。いや、正座させられているのか。

明日香は斜面を駆け下りて彼らの前に行った。

「あんたたち、何やってるのよ」

高校生たちの目が明日香に集中する。

オレンジ色の上下のジャージ姿。髪は薄茶に染めている。ピンクのサングラスをかけていた。一度はやってみたかった配色だ。二十九歳にしては、チョット、イヤかなり派手目だ。

「練習だよ、練習。空手のね」

中でいちばん身体の大きな高校生が言う。百八十センチ以上、九十キロはある。足元で座っている少年は、その高校生の半分くらいに見える。

「弱い者いじめは、男の中でも最低の奴がやるものよ」

「最低かどうか、確かめてみるか、おばさん」

体格のいい高校生が近づいてくる。腕を伸ばし、明日香の胸元をつかもうとした。その腕を軽く突き上げ、足を払うと、高校生は転がっていた。一瞬、空気が変わった。次の瞬間、いちばん背の高い高校生が、明日香の肩に手をかけた。

気が付くと高校生は明日香の横に倒れていた。周りの高校生たちが唖然(あぜん)とした顔で明日香を見ている。

「このババァ、出しゃばるな」

声と共に高校生の足が伸びる。空手の蹴り技だ。明日香はその足首をつかんで引き倒した。

高校生たちの顔色が完全に変わり、動きが止まった。高見沢(たかみざわ)に教わった関節技だ。「力で勝とうとは思うな。女は男に比べ力は弱い。人の身体を研究しろ」合気道、太極拳、古武道の一部になるのか。多くの武道を科学的に取り入れた総合逮捕術と高見沢は呼んでいた。

明日香は正座させられていた少年の腕を支えて立ち上がらせた。

「あんたら、自分たちのやってることが分かってるの」

「俺たちが何をしてるって言うんだ。練習付けてやってるんだ」

少年の顔を見ると、口元が切れて血が滲んでいる。目の下にも殴られた痕がある。

「こういうの、いじめって言うんじゃないの。怪我してるみたいだから暴行か。あんた、彼らにお金取られてないの」

「五千円」

「それだけ」

「今までのを入れると全部で二十万円くらい」

少年が低い声で言う。

「呆れたね。大人顔負けの強盗だ。未成年だろうから二、三年少年院に入って、出てきた時には少年院帰りのレッテルね。家族は近所の評判になって、父親は会社をやめなきゃならない。兄弟は学校にも行けないよ。町にもいられなくなる」

「こいつのどこが怪我してるんだ」

茶髪の高校生が言うが、声が震えている。

「目の下が内出血してる。明日になれば腫れ上がるよ。ズボンが破れて、膝から血が出てるし。どんな稽古をしてたの」

「勝手にコケて打ったんだよ。運動部だとこのくらい日常だ」

「おばんが出しゃばるなよ。コレは俺たちの問題なんだから」

「日本の問題ね、いじめというのは。いや、今は世界の問題か」

スマホが鳴り始めた。

「ちょっと待って、うるさい電話だから」

明日香は画面を見て、通話のスクロールした。

〈昨日の話だが、結論が聞きたい〉

「やはりお断りします。新崎(しんざき)先生もあのお身体でそんな無理はしない方がいいと思います」

明日香は少年たちを睨(にら)みながら話した。今一番求めているのは、心の安らぎだ。

〈一度言い出したら聞く耳を持たないお方だ。おまえがいちばんよく知ってるだろ〉

少年たちは目くばせをしていたが、一斉に逃げ出した。

「申し訳ありません。電話を切ります」

追いかけようとして土手の方を見ると、黒塗りの大型ワンボックスカーが止まっている。

明日香は残された少年にむき直った。

「あんたも身体を鍛えなよ。でもチョット無理か。何かやられたら警察に行くことね。警察はそのためにあるんだから」

そう言って肩を叩いて、帰るように合図した。

夏目(なつめ)明日香、二十九歳。二年前、女性初の総理、新崎百合子(ゆりこ)付きのSPになった。その時、官邸がテロリストに占拠され、上司の高見沢と、総理を護ってテロリストと戦った。高見沢は殉職したが、明日香は新崎総理を護り抜いた。その時以来、新崎と明日香は、総理と警護官という関係以上に強く結びついている。

さらに翌年、新崎が日本で開催した「テロ撲滅世界会議」がNISと赤色戦線に襲われたときには、マリアとエリーゼ親子を守って戦った。激しい戦闘と命を護ることの重みで、精神的にも追い詰められた。現在は立川の交番勤務をしている。

 

著者紹介

高嶋哲夫(たかしま・てつお)

作家

慶應大学工学部卒、同大学院修了。日本原子力研究所研究員を経て米国留学後、作家に転身。また2005年に出版した『TSUNAMI』が東日本大震災、2010年に出版した『首都感染』が新型コロナウイルス感染症で起きた事態をそれぞれ「予言」していたと各マスコミで大きな話題となった。ほか著作に『ライジング・ロード』『官邸襲撃』『首都襲撃』など。

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