「ニューズウィーク日本版」元編集長・竹田圭吾の〈コメント力〉と〈情報力〉
2013年08月27日 公開 2024年12月16日 更新
《『コメントする力 情報を編集×発信する技術』より》
「コメントする力」とは
「テレビのコメンテーターって、思いつきで喋ってるんでしょう?」
そんな問いかけを受けることがあります。
イラッときます。
痛いところを突かれたから……ではありません。
質問の意味によって、答えはイエスでもあり、ノーでもあり、ひと言では答えようがないからです。
「喧嘩売ってんのか、こいつ」
「思いつきじゃなくて、ひらめきと言え」
と心のなかでつぶやきながら、つくり笑いを相手に向けて、時が過ぎるのを待ちます。
思いつきで喋る。
それが、その場で頭に浮かんだことをとっさに言葉に変換して発している、という意味であれば、答えはイエスです。
コメントにはひな形のようなものはないし、スタジオの展開が台本どおりにいくこともありません。番組の流れを動体視力でとらえつつ、キャスターが投げてくるボールを瞬間の状況に応じた角度で打ち返す。アスリート的な感覚が必要な作業です。
流れを押さえていても、いつ、どこからボールが飛んできて、フィールドのどのエリアを狙うべきかが、まったく見通せないこともあります。「このことをこう言おう」と、型にはめた準備をして座っていては、とても対応できません。
思いついたら喋る。あるいは、思いつきながら喋る。ときには、思いつく前に喋る。それがコメンテーターに求められている技術であるということはできます。
そうではなく、自分が感じたことを気ままに、テキトーに語っているのだろう。何も考えずに。ちぇっ、楽しやがって。そんな意味で「思いつきで喋る」と尋ねているのであれば、答えはノーです。
思いつきで喋るという行為の前には、何かを思いつくというプロセスが存在します。何かを思いつくには、そのための材料が必要です。無から何かは生まれません。思いつきは神の啓示でもなければ、直感の発露でもなく、あらかじめ頭のなかにインプットした材料=情報と知識が化学反応を起こして生まれるものです。
思いつきで喋っている人の話の内容がくだらないとすれば、それは思いつきで喋っているからではなく、何かを思いつくための材料の選び方や混ぜ方、入れ方がまずいか、もしくは材料の量と質に問題があるのです。
コメントは、準備してストックした材料のなかから必要なものをピックアップして、瞬時に加工して視聴者に差し出す行為です。スタジオでコメントとして発する前に、材料となる情報を吟味する、選んで入手する、選り分ける、情報と情報をつなぎ合わせる、発信するポイントを絞り込む、伝わりやすいように形を整える、といったさまざまな段階を経ています。
そうした段階のなかで、私かつねに意識していること、いつも行なっていることは、次のようなものです。
・情報は整理しない
・情報は全体像でみる
・情報はタテ軸とヨコ軸に置いてみる
・情報はズームイン/ズームアウトして観察する
・すべてはグレーと考える
・わからないことを受け入れる
・情報は収集しない
・情報はストーリーで発信する
・他人と同じことは絶対に言わない
・刺さるコメントよりも、しみ込むコメントを
・いつでもどこでも聞き手を意識する
・ツイッターを使い倒す
・ボケる力を磨く
拙著 『コメントする力』 では、これらのことについて詳しく書いています。
要するに、コメントカと、そのための情報力。
ニュース週刊誌の編集長、テレビとラジオの仕事、そしてツイッターを通じて、自分なりに学び、考え、整理した「情報力」と「コメントカ」について、何がポイントで、どうすればそれが身につくかをまとめました。少しでもお役に立てばうれしいです。
<書籍紹介>
情報を編集×発信する技術
編集者/ジャーナリストとして活躍する著者が、玉石混交の情報を編集し、オリジナルなメッセージとして発信する技術を伝授する!『ニューズウィーク日本版』元編集長がマル秘ノウハウを初公開。
<著者紹介>
竹田圭吾
(たけだ・けいご)
編集者、ジャーナリスト、名古屋外国語大学客員教授
1964年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、スポーツ雑誌でアメリカのプロスポーツを収材。1993年に『ニューズウィーク日本版』に移り、翻訳編集のかたわら、国際情勢、アジア経済、社会問題等を収材する。1998年副編集長。2001年から10年まで、編集長。2004年以降、テレビのさまざまな情報番組やニュース番組のコメンテーター、ラジオ番組のナビゲーターなどを務めている。