ナポレオンの死因は、胃がんかそれとも毒殺か?
2013年10月11日 公開 2024年12月16日 更新
※本稿は『[決定版]「科学の謎」未解決ファイル』(日本博学倶楽部著,PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
病死? 毒殺? 論争が続く英雄の死因
19世紀前半、ヨーロッパ各地を次々と占領したフランスのナポレオン。フランス皇帝にまで上り詰めた稀代の英雄の死因については、現代まで論争が続いている。
大西洋のセントヘレナ島で失意のうちに亡くなったナポレオンの死因については、長いあいだ、胃がんだといわれてきた。ところが1960年代に、一転して、じつは毒殺されたのではないかという新説が提唱され、論争が広がった。
毒殺説をとなえたのはスウェーデンの医師フォーシューフットである。彼はナポレオンの従者が残した手記から、その晩年の症状が、がん患者よりヒ素中毒患者と酷似している点に気づき、ナポレオンの死はヒ素中毒もしくは毒殺ではないかと考えた。
この推測を実証するため、彼はナポレオンの遺髪を調査・分析した。その結果、遺髪からなんと現代人の数十倍ものヒ素が検出されたのだ。
科学の力によって、ナポレオンの死因は一挙にミステリーの様相を帯びることとなった。
その後もこの毒殺説についてはさまざまな検証が試みられた。2005年にはフランスの法医学者キンツ博士も、ヒ素が毛髪の内部に達しているのは、ヒ素を口から摂取したためだと発表し、毒殺を裏づける証拠だとして毒殺説に軍配を上げた。
いっぽう、胃がん説も負けてはいない。ナポレオンは死の数カ月前、急激に体重が減少しているとし、これこそ胃がん説の根拠だと反論する。
死因について激しい謎解き合戦が繰り広げられるなか、2008年、イタリアの核物理研究所によって、反毒殺説派の追い風となる興味深い発表がなされた。
試料がごく微量であっても、損傷させず正確に元素を調べられる中性子放射化分析法を使って、ナポレオンの妻や息子の遺髪を分析した結果、ナポレオンの毛髪と同程度のヒ素が検出された。つまり、当時の人々はヒ素を恒常的に摂取する環境にあり、ナポレオンだけが特別にヒ素を摂取していたわけではなかったというのだ。
毒殺説は本当に否定してよいのか、ならばやはり死因は胃がんだったのか。論争が深まるなか、2009年、この論争に一石を投じる新説が発表される。
ナポレオンの健康について調査してきたデンマークの元医師によると、ナポレオンの死因は慢性的な腎疾患だったというのである。元医師は、ナポレオンは若いころから泌尿器系や腎臓病などの病気に悩まされており、この合併症が死因になったと結論づけている。
胃がん説、毒殺説に加え、腎疾患説まで加わったナポレオンの死因。その謎は現代科学をもってしても、いまだ二転三転して決着を見ていない。