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「21世紀型の職人」を作りたい

秋山利輝(秋山木工グループ代表)

2011年04月04日 公開 2021年05月21日 更新

 

子を「職人」にする親の覚悟を問う

(桐山)秋山木工の設立は、1971年。秋山さんが27歳のときですね。

(秋山)創業スタッフは、私を含めて3名。初めは小さな仕事ばかりでしたが、次第に大きな仕事を依頼されるようになり、現在は、宮内庁、大手デパート、高級ホテル、ゴルフ場、高級ブランド店、美術館など、さまざまなお客さまから注文をいただいて、家具から小さな額縁まで、木を扱うものであれば何でも、一からご要望に応じて製作します。年間売上げはグループ全体で約10億円。ここ数年は順調に売上げも伸びています。

徒弟制度は、私が会社を興して以来、約35年間ずっと続け、これまで約50人の職人が、わが社から巣立っていきました。年に一度行なわれる「技能五輪全国大会」での入賞者も数多く輩出し、2005年に初の金メダルを獲得して以来、これまでに金メダル1、銀メダル6、銅メダル4、敢闘賞5を獲得し、毎年一人以上の入賞者を出しています。

(桐山)入社試験も厳しいと聞きました。

(秋山)丁稚生活は厳しいですから、誰でも全うできるわけではありません。そこで入社前の面接をとくに重視し、一般企業では30分程度の面接を秋山木工では少なくとも3時間行ないます。そのうえで工場を見学してもらい、入社している丁稚たちとも話をしてもらう。そして、こちらがこの人間は採りたいとなったら、北海道だろうと沖縄だろうとその子の実家に行き、親とも3時間以上話します。修業しているあいだは厳しい生活が続くため、そこまでして子供を「職人」にする覚悟が親にあるかをまず判断する。丁稚修業中に必ず「辞めたい」と思うこともあります。その壁を乗り越えて、一人前の職人に育てるためには、親のサポートが絶対に必要になるからです。

(桐山)入社後はどんな教育をなさるのですか。

(秋山)その前に行なうのが「自己紹介」です。初々しい姿でやってきた彼らを応接室に集め、名前、出身地、卒業した学校、年齢、家族構成、5年後の自分の姿、なぜ秋山木工に就職したのか。将来の目標――これからのことを一人ずつ順番に話させます。

一巡したあと、私が納得するような話し方ができなかったり、目をみずに俯いて話したり、おかしな言葉遣いがあったら、「何を話してるかわからない、もう一回!」とやり直しで、つまずくことなく自己紹介できるようになるまで、順番に延々と続けます。他の人間が自己紹介しているときは、相手の話を聞いて覚える訓練でもあるので、同僚が話したことを記憶できるか、たとえば「あいつの名前と家族構成を覚えてるか、これからずっと一緒に働く同僚のことを覚えていないとはどういうことや」とやり直しです。

入社して1週間は、まずこの自己紹介が完璧にできるようになるまで何度も繰り返させ、自己紹介が完璧になるまで、正式に入社することもできません。

(桐山)厳しいですね。

(秋山)この時点で、彼らの立場はあくまでも見習いです。正式に入社するためには、寮に入って10日後に行なわれる、自己紹介、将来の目標、秋山木工に入社した目的、「職人心得30箇条」を暗記できるか、カンナの基本的な使い方を知っているか、木材の名前を30種類挙げられるか――といったテストに合格した者だけが社員となり、頭を丸める資格を得るんです。

(桐山)入社後、私的な用件での携帯電話を禁止にしたのはなぜですか。

(秋山)携帯電話は、すぐ相手と連絡がつくというメリットもあります。しかし、便利さに甘えてしまい、何でもメールのやりとりになるのは問題です。また声を出して話す習慣、人と会って話す習慣がなくなるのは、職人にとって命取りです。連絡はむしろ親にも手紙をどんどん書けと勧めていて、書かないと怒るほどです。

丁稚への返事は事務所に届きますから、どの親から手紙が多く来るかすぐにわかる。返事が来ないなら何通でも書け、と叱ります。自分の思いは文字にして表わすほうが有り難みが出ますし、親からもらった励ましの手紙を読み返せば初心に戻る手助けにもなる。友達とも携帯電話ではなく、手紙を通じてやりとりさせます。

(桐山)最近の若者は、友達の携帯メールリストに自分の名前が入っていないだけで、不安に感じるようですね。

(秋山)友達がいなくなることや、友達に嫌がられることを恐れて、何でも友達に合わせる。いまは、そんな風潮があります。そんな子供のルールから、気持ちを解放させる。また、文字を書くということも訓練の一つになります。職人になったとき、お客さまにお礼状を書く機会があるかもしれない。そんなとき、手紙一つ書けないようでは、職人は務まりません。

(桐山)休日も盆と正月の10日間のみ。

(秋山)それ以外は、たとえ両親であっても、面会は禁止されています。20歳前後の若者たちが毎日怒鳴られ、慣れない寮生活を過ごしていますから、親に会えばどうしても里心がつく。そのため、仕事に集中させ、この生活に慣れるまで、心の緩みは禁物です。

1年目の盆休みは、誰もが帰省を待ちきれませんが、帰省の際は、入社後に教えてもらって自分でつくった自分専用のカンナをもたせて両親の前で板削りの実演をさせます。親にとっても、わが子に会えるのは1年に数えるほどの貴重な機会ですから、実演するところをみてもらい、成長していることを知ってもらうのが一番。どんな土産より、わが子の成長がなにより嬉しいはずですから。

 

日本はもはやモノづくりの「後進国」

(桐山)ユニークな経営を続ける秋山さんに、講演依頼も殺到していると聞きます。

(秋山)いまの日本で、実際に自分が職人であって、ものを自分の言葉で話せる人はそういないと思います。たとえば、痛くない注射針をつくった岡野工業の岡野正行さん、「奇跡のリンゴ」を手がける木村秋則さんなどが思い浮かびますが、いまのようなしんどい状況になっても、きちんとやることをやっていらっしゃる企業は多い。

しかし業界全体としては、たんなる技術屋さんに留まっていて、その結果、こんなに優れた技術をもっているのに浮かばれない、という不満も溜まってきています。そのような職人の声を聞きたい、となったときに、私が呼ばれるわけでしょう。

(桐山)そこでは、どのようなことをお話しになるのですか。

(秋山)自分の言葉で話せる職人がいなかったので、そのあいだに日本がここまで「後進国」になってしまったことを、1割ぐらいの方しか感じていないのではないか、ということを話題にしますね。日本は世界に誇れる教育システムをもっている、といっていたのは30年も前のことで、そこから50番目くらいにまで転落したいまの状況をどう認識するのか、と。

その諸悪の根源はやはり「ゆとり教育」ではないかと思いますが、そのことに気づいたとして、では、これからどうするか。直感的にいえば、モノづくりという世界において日本はあと5年の命。あと5年で日本人が脈々と受け継いできたモノづくりの遺伝子が途切れてしまう。それほどいまの状況は危機的です。

(桐山)それを救うには、どうしたらよいでしょう。

(秋山)まだ、日本が「先進国」に舞い戻れる可能性は5%ぐらいはあるのではないか、と思っています。私は1943年生まれですが、日本がおかしくなっていったのは25年くらい前からではないか、と感じているんです。ちょうどそのくらいから、大人が下の世代にものを教える、ということをしなくなった。人はそれぞれ自由であり、それぞれに個性があっていい、と喧伝されるようになったからです。

しかし本来、日本人の個性とは、そのようなものではない。義理人情、浪花節でわれわれは生きてきたはずで、日本があと五年で危機的状況に陥る、というのは、私のようなおせっかいな人間が完全にいなくなってしまう、ということなんです。

(桐山)私はいま57歳ですが、われわれは上の人に「叩かれて教わった」最後の世代になるかもしれません。

(秋山)私の『丁稚のすすめ』を読んで、京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが、これぞ日本人の生き方、働き方である、と褒めてくださいました。日本航空(JAL)はいま、稲盛さんのおかげで復活しつつあります。その原動力とは何か。それはただ、日本人の心を復活させてるだけなんです。

(桐山)日本人の心とは何ですか。

(秋山)それはほんとうに単純で、権利だけを主張するのではなく、世のため、人のために気遣いをできるかできないか、ということです。私が指摘するまでもないと思いますが、自分の権利だけに固執する人たちは、やはり日本人としての生き方からどこか外れている。同じ民主主義でもアメリカは権利と義務とのバランスがとれていますが、いまの日本人は過剰に偏っている。やはりその元凶は教育でしょう。

(桐山)秋山さんからご覧になって、いまの若者の移り変わりをどうお感じになりますか?

(秋山)そうですね、もうダメな人間と生き残れるだろう人間に分かれています。就職先がなかなか見つからない学生に「君はここまでに何軒回ったの?」と聞くと、「20軒」と答えるから、「絶対働く気がないだろう」と追及すると、「そうなんです。ほんとうは働く気がないんです」と泣き出してしまう。「親のために探すフリをしているだけだろう」というと、「そうです」という。そんなことすら、いまの大人は見抜けない。しかし政府はそれに対して「就職支援」が必要だ、といってお金を出そうとしている。何かがおかしい。

しかしより大きな問題は、高校よりも大学だと思います。秋山木工は高卒の生徒が多くやってきますが、彼らは「ゼロ発進」します。しかし大学卒の人はいわば水面下四からのスタート。4年も遊んできたからマイナス4ということです。(笑)

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あくまで「お客さん」あっての職人

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