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松下幸之助の人間尊重経営―人材育成は企業の社会的責任である

PHP研究所経営理念研究本部

2017年03月17日 公開 2024年12月16日 更新

『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年3・4月号[特集]人間大事の経営 より

 

人それぞれの天分を生かし、“成功”を後押し

松下幸之助が人を大切にした経営者であったことはよく知られている。たとえば、社員の雇用を守り、適材適所の配置に努め、教育にも熱心だった。しかし、松下幸之助の人間大事の神髄は、そのような目に見えることよりも、人間のあり方や生きがいといった根本問題まで思索を深めながら経営を実践していたことにある。なぜ企業において人が重要なのか、どうしたら社員は生きがいをもって働くことができるのか、人材育成とはそもそも何をすることなのか、なぜ企業がそれを行う必要があるのか――など、松下幸之助が考え、実践したことをあらためてふり返る。
<構成:川上恒雄>

 

新米にも名前を呼んで声をかける――社員を一人の人間として尊重

 松下電器(現パナソニック)の山下俊彦元社長がはたち20歳そこそこの新米社員のときのことである。実験室で仕事をしていると、松下幸之助(以下、幸之助)がふらりと入ってきて、「山下君、元気でやってくれているか」と声をかけてきた。松下電器グループ全体として社員数が6000名を超える規模に達していた1940年前後(昭和10年代半ば)の話である。幸之助が一社員にすぎない自分の名前を覚えていたことに、山下元社長は「すっかり感激」したという(山下俊彦「私が見た松下幸之助」、『プレジデント』1979〔昭和54〕年9月号所収)。

 旧松下電工の金谷貢元副社長も、1934(昭和9)年に入社して数カ月後、幸之助にポンと肩をたたかれると、「金谷君、君、大分慣れてしっかりやってくれとるらしいな」と言われ、「もう大感激」だったと語っている。それまでは会社に勤めながら弁護士をめざそうかとも考えていたが、そういう迷いはこれでいっさいなくなったそうだ(金谷貢「身にしみた教えから」、PHP研究所研修局編『続々 松下相談役に学ぶもの――PHPゼミナール特別講話集』〔非売品〕所収)。そのほかにも、若いころ幸之助から名前で呼ばれたという元社員の証言が散見される。

 幸之助はむろん、全社員の名前を覚えていたわけではない。事前に調べておくこともあったようだ。しかし、たとえそうであったとしても、相手が新米であれ、その名前を呼ぶという姿勢は、幸之助がいかに社員一人ひとりを大切にしていたのかを物語っている。

 社員の名前を呼ぶことぐらいかんたんに思われるかもしれないが、それを実践している経営者は案外少ないもの。「企業は人なり」などと説いていても、自身の意識や行動が伴っているとは限らないのだ。幸之助はいう。

“企業は人なり”とよくいわれるが、そのことばは、人間の尊さを知ってはじめて本当のものになるわけである。人間の尊さというものを真に理解することがなければ、いくら口で“企業は人なり”と言っていても、それはよりよい姿に結びついてこないのではなかろうか。
(『人を活かす経営』PHP研究所)

 幸之助の経営にはこのように、人間尊重の精神が貫かれている。社員を名前で呼ぶということは、単に社員のモチベーションを上げるために便宜上行なっているのではなく、その社員を主体性ある一人の人間として見ているという意識の自然の表れなのだ。

 

「人質管理はもっと大事やで」――品質管理の時代に説いたこと

 松下電器の谷井昭雄元社長も、幸之助からはじめて声をかけられたときのことが忘れられないという。1956(昭和31)年に中途入社してから3年ほどたったころ、当時エンジニアの谷井元社長は事業報告のため幸之助に面会すると、「君な、品質管理は大事やけど、人質管理はもっと大事やで」といわれ、強烈な印象を受けた。そして、「松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです」という幸之助の言葉に触れ、「人質管理という言葉を使われたのも同じ気持ちからだと思う」と述べている(『産経新聞』2009〔平成21〕年4月21日付朝刊)。

 若い読者の中には、谷井元社長のこの思い出についてピンとこない向きもあるだろう。当時の高度経済成長の時代には、製造業における品質管理が飛躍的に向上した。つまり、いかに優れた品質管理を実現できるかが、メーカーにとっては至極当然の問題だったのである。そういう風潮のなか、幸之助があえて「品質管理」ではなく「人質管理」を訴えたことは注目に値する。

 1961(昭和36)年に開かれた全国産業教育和歌山大会での講演によると、幸之助は「人質管理」という概念をほかの人から聞いて興味をもったのだという。品質管理の改善も、結局のところ人が行うもの。だからこそ、人の質の管理、つまり「人質管理」を導入すべきであるという見方に大いに納得した。そこで、ともすれば「品質」のことばかり考えがちなエンジニアの谷井元社長にも、「人質」の重要性を説いたのだと思われる。

「人質管理」という表現の語感から、社員の個性を滅して画一化するといった印象を受けるが、幸之助の真意は逆だった。「管理」というよりもむしろ、各人それぞれの個性を引き出すような育成に力を入れたのである。幸之助の理想は、同じ組織や集団の中でも人材の多様性が生まれ、それゆえに全体として大きな力が生まれることだった。この点について、幸之助は以下のような説明をしている。

花を見ても、花は一色だけではありません、百花繚乱といいますか、いろいろの花が咲きます。これが自然の姿です。そしてみなそれぞれに、桜の花や梅の花をめでたり、桃の花は結構である、藤もまた結構であるというように、いろいろの花があって、そして人間がそれを見て楽しむことができます。
それを藤の花がいちばんよかろう、じゃあ、ほかの花はみなやめてしまって、全部を藤の花にしてしまえ、ということはどうでしょう。これでは無味乾燥になります。いかに藤の花がきれいであっても、それだけしかないということは、非常にさびしいことだと思うのです。やはりいろんな花があって、その花の咲き方も、人間の心によって感じ方が異なったり、また同じ花であっても、栽培の仕方によっては、大きくもなり小さくもなるというふうにして、同じ一つの花であっても、それをいくつにも咲かせてみせる。そして百花繚乱の上にさらに百花繚乱のような姿が出てくるのであって、ここに私は人間としてのいろいろな喜びといい、楽しみができてくると思うのです。人間の心またしかりです。みんな違うのです。ある人は桜の花の心である。それを、桜の花はいかんから、藤の心に変えろということは無理です。
そういうようにみんなが個性をもち、それぞれの好むところに従って生活をしていく。しかし、そういうような百花繚乱のようなお互いの生活が、大きく言って、一丸となり調和を保って社会を形成し、維持していくというところに、私は今日の人間観といい、社会観というものがあると思う。それをなになにによってどうする、なになにによってこうだ、というふうにきめてかかること自体が、人間の本質を無視したやり方になってくるのではないかと思うのです。

(『繁栄のための考え方――私の経営観・人生観』PHP研究所)

 幸之助はこのように、人間の個性が各人各様に開花し、全体として百花繚乱のようになることが、人間社会の本来あるべき姿と見ていた。だからこそ、みずから率いる松下電器においては「人質管理」を重視し、社員一人ひとりの個性が思う存分発揮されるような活力ある会社づくりに努めたのは、当然のことだったのである。

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