<鼎談>是枝裕和 × 西川美和 × 砂田麻美~世界といまを考える
2015年06月04日 公開 2024年12月16日 更新
第1回は、西川美和監督と砂田麻美監督との鼎談。話のテーマは、それぞれの出会いから、3人がともに立ち上げた制作者集団「分福」のこと、そして今後の展開まで広がり……。
では、その一部をどうぞ。
「映像」の表現者と、世界といまを考える
原作の世界観を映画のなかにどう落とし込むか
砂田 ちょうど原作の難しさという話が出ましたが、今度の是枝監督の最新作『海街diary』(*1)は原作モノですよね。その難しさはありましたか。
是枝 うん。原作が好きだからね。あと、6巻とはいえ膨大な長さなので、そこから何をチョイスして、しかもそれをどのように自分の映画にするかというのは、けっこう格闘しました。
砂田 それはどういう意味で?
是枝 ……自分が書いたものではないものをここまで読み込むというのは、なかなかない。原作者の吉田秋生さんの書いたものをぜんぶ読み直し、それがどう変わって『海街diary』が生まれ、そこに表現されている世界観のなかで彼女は何をしようとしているのか、これがそうなっていないのはなぜかを必死で考える。自分が書いたものもそうやって考えながら書いてはいるんだけど、こんなに考えたのは久しぶりだった。だって自分が書いているものはここまで分析しないじゃない?
西川 え?(笑) 分析しない?
砂田 分析していますよね。
是枝 いや、たとえば『海街diary』というのは腹違いの妹を姉3人がいきなり引き取る話なんだけど、引き取ることにそんなに葛藤がないの。
西川 確かに葛藤なしに引き取っていますよね。
是枝 それで、もしそういう設定で話を書きはじめたとして、3人お姉さんがいたら2番目はちょっと意地悪で妹を苛める、とか考えるじゃない?
西川 セオリー的に。
是枝 うん。そういうことが原作にひとつもない。そうすると「なぜそういう設定にしていないのか?」と思うわけ。吉田さんはあえてそうしないことが山ほどあって、なぜしてないんだろうかとずっと考える。
砂田 映画の物語のセオリーとぜんぜん違うところで書かれている。
是枝 そう。じゃあそれをどうおもしろく2時間の映画にするか。たとえばあの話は時間が緩やかに流れていくなかでいろんなエピソードを引っ張って並べていて、まさに「ダイアリー」なんだよね。それはマンガというスタイルだったら成立するけれど、同じことを映画でやったら成立しない。
砂田 そうですよね。
是枝 どこにも流れ着かない。原作は「この子おもしろかったけど、こっちの子のほうがおもしろくなったから、この子の話はちょっとやめちゃおう」とか「こっちの子のことをもう少し膨らませるために、こういう関係の人を登場させてみようかな」というようなことを5巻目で始めていたりして、たぶん吉田さん本人も全体像が最初にあるわけではないんだよね。だからこそ、枝葉の広がり方におもしろさがある。でも2時間の映画で、1時間40分で初登場の人が出てきたら……。
西川 困っちゃう。
是枝 だからそのへんも含めてぜんぶ解体して、構築しなおして、映画という仕組みのなかに原作の世界観をどう落とし込んでいくかということを必死でやったの。うまくいったかどうかは、観ていただくしかないけれど。
西川 確かに『海街diary』の脚本を読んだとき、ここ何作かの監督のオリジナルの脚本の流れとは明らかに違うなと思いました。
砂田 違いますよね。
西川 監督、この原作がすごく好きじゃないですか。原作のファンゆえに捨てられないものがすごく脚本に見えたんです。要はストーリーラインに関係しない無駄みたいなものが、もともとお好きですよね。
是枝 大好き(笑)。
西川 でも、そういうのを削り取るという方法を最近は取られていますよね。
是枝 『そして父になる』(*2)はずいぶん削って、ストーリーラインにエピソードをぜんぶ寄せていきました。
西川 そのへんの割り切りが最近すごく思い切っているなと思っていたときに……。
是枝 いちばんやりたいことをやった(笑)。
西川 無駄好きがまた始まったという。だからこそ、監督らしさも逆にあるなと思ったけれど。
是枝 直線的な映画にはなっていない感じだね。
西川 うん。久しぶりに迷いがある第一稿を読ませていただいた気がしますけど、上がりは随分と美しいものになりましたね(笑)。
是枝 光栄です(笑)。
是枝監督最新作『海街diary』(2015年6月13日公開)の一場面
(C)2015吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ
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