ヒラリーさんって、どんな人?
2016年01月27日 公開 2022年12月07日 更新
『ヒラリー 政治信条から知られざる素顔まで』より
大統領にいちばん近い女・ヒラリーの素顔
ヒラリーはマスコミ的に面白い
アメリカ大統領選の時期には、報道も過熱するが、同時にお笑い番組などで候補者を取り上げて茶化したりすることも多くなる。
これが本当におかしい。
前回2008年の選挙だと、ヒラリーはドタバタ頑張る、あれもこれも仕切りまくる、などの寸劇に、共和党のマケイン候補は何でも速攻行動でずれる、そのマケインが指名した女性副大統領候補ペイリンは堂々とトンチンカンな答えをし、クリントン元大統領は女性を口説きまくり、元ブッシュ大統領は、プレッツェル(スナックの一種)をのどに詰まらせたり(実際そういうことがあった)、重要事項を説明されてもハテナ? の表情、等々、こんなことをして問題にならないの、というほどある意味、真実に迫っている。
だが、オバマ大統領は、このような茶化し方ができなかった。スター性や大物っぽさはたっぷりあるのに、大衆受けする面白さはなく、それよりは、憧れる対象という感じだ。
逆に、2015年秋現在、共和党支持率でトップを走っているドナルド・トランプ候補などは、大衆受けオンリーという感じで、寸劇より実際の言動の方が上を行く面白さだ。
ヒラリーは、いつもマスコミにいじられる。
2008年の大統領選でのオバマ対ヒラリーのデッドヒートを扱った人気お笑い番組『サタデーナイトライブ』の寸劇では、オバマとヒラリーに扮したコメディアンと女性司会者が登場する。司会者はまず、ヒラリーに難しい質問をして、答えに詰まると鼻で笑う。続いて、オバマには簡単などうでもいいようなことを優しく質問し、その答えにうっとり聞き惚れるという具合だ。
20数年前、クリントン夫妻がアメリカ大統領選で国民の前に登場して以来ずっと、ヒラリーは、いつもマスコミに格好の話題を提供してきた。
「私は家でクッキーを焼いたりしていてもよかったけれど、職業を全うすると決めたんです」というキャンペーン時の大失言は、家庭の外で働いたことのない女性たちの触ってほしくないところを刺激した形になり、専業主婦蔑視と受け取られて、全米を駆け巡った。
さすがにこれはまずいと考えたヒラリーは、得意でもないクッキーレシピの公開などを繰り返したため、一部マスコミからは「ヒラリーらしく振舞わせてやれよ」との意見がでるくらいだった。火消しさえもドタバタである。
また、ジェニファー・フラワーズ、ポーラ・ジョーンズ、モニカ・ルインスキーなど、夫ビルの女性問題では、タブロイド紙のトップページには当の女性より、「涙にくれるヒラリー」「怒り狂うヒラリー」「落ち込むヒラリー」とアップの写真がのり、人々に格好の話題を提供してきた。
「なんで別れないのかしら? 私なら耐えられないわ」「そんな、ヒラリーにとってはすべて計算ずくよ」「あの二人は仮面夫婦に間違いないわよ」「ヒラリーが強すぎるのさ、彼の気持ちもわかるね」とまあ、それくらいまではいいものの、「ヒラリーには性的魅力がないんだよ」などと、いわれなくてもいいようなことまで言われてきたのである。
2015年、問題となっているヒラリーのEメールが8月から順次公開されてきた。その中には、個人のテレビ番組の好みなどや笑えるメールも含まれているという。『ニューズウイーク』誌では、「メールで楽しむヒラリー劇場」(2015・9・15)などという記事をのせたくらいだ。
メールをきちんと分けてさえいれば、こんなことはなかったのに、本当にヒラリーは意図せずしてお騒がせ体質が身についているのだろう。
ジグザグキャリアを歩んだヒラリー
ヒラリーというと、エリート街道を突き進んできたという印象があるが、よく調べてみると、いわゆる「キャリア志向」というのとは異なると思う。
目標を定めてまっしぐらという人生の歩み方はしていない。
かつて『ヒラリーとライス』(PHP新書)という本を出したとき、成績優秀だったライス元国務長官は飛び級、飛び級できて15歳で大学入学を果たしたのに対し、同じく成績優秀なヒラリーは普通に公立学校に通い、18歳で大学に入学したと書いた。
ライスは、大学途中で専攻を音楽から国際政治に変え、ロシア語までマスターして19歳で大学を卒業、大学院修士課程は1年で修了し、20歳で博士課程に進んでいる。一方、20歳のヒラリーはというと、将来についてぐちゃぐちゃ悩み、「いつになったら本当の私に会えるのかしら?」などとロマンチックなことを言っている。
ヒラリーは小学校から中学、高校、大学に至るまで、授業の他に生徒会の役員や課外活動、アルバイトなどでも忙しく、勉強一筋という感じではない。そのアルバイトも、キャリアとは無関係なものも多く、缶詰工場で魚の内臓を抜く仕事なども経験している。
イエール大学ロースクールの時には、留学した恋人クリントンに合わせて、わざわざ必要のない留年をしている。その大学院を出た後は、同級生の多くがワシントンやウォール街の一流法律事務所でキャリアをスタートさせているのに、そういうエリート道は歩まず、給料も高くないであろう地味な児童保護基金に就職している。
オバマもロースクール卒業後は、コミュニティオーガナイザーになったりしたが、それは政治家という夢の実現のための戦略的第一歩だと思う。が、ヒラリーがそこまで計算して先を読んでいたかどうか。たぶん考えてはいなかったと思う。
ニクソンの弾劾裁判の調査に関わった後も、将来について思いあぐね、どうしようと悩んでいる。それで、とりあえず恋人の待つアーカンソーへ行くことにした。
「そんな田舎に? キャリアを捨てたも同然よ」と友人の多くが大反対だったことは前述のとおりである。
しかし、アメリカ第2の弱小州アーカンソーだったからこそビル・クリントンは若くして知事になれたのだろうし、ヒラリーも知事夫人として州の教育改革などに携わることができた。
同じことは大学生活にも言える。初めヒラリーは、ウェルズリー女子大のお嬢様的雰囲気に溶け込めず、親に電話をかけて弱音を吐いている。が、次第に大学に馴染んでいき、4年後には学生代表として卒業スピーチをし、それが全米で話題になった。
もしそれが、有名IVYリーグの大学などだったなら、ヒラリーは卒業スピーチなどやらせてもらえなかったかもしれない。
「この場は、この仕事は、私の将来には何のプラスにもならない」とか「自分は○○の環境にふさわしい人間だ」などという発想は、若いヒラリーにはなかった。ライスは、自分の能力を正当に評価してくれる人がいる環境(それがどういうものか若いころからわかっていた)に身を置くためにひたすら勉強に励んだが、ヒラリーはとりあえず自分が今いる場所から出発するタイプである。
その場所で芽を出し、根を張っていく。しだいにまわりを巻き込みながら、経験を積んでいき、時々横道にそれながらも、気がつけば大きく成長している、そんなタイプである。故郷パークリッジ、ウェルズリー大学、アーカンソー州などでの活動を見ると、それがわかる。
さらに、桁外れに優秀なヒラリーは、強運にも助けられ、その場所で注目され、それが次につながっていったのである。回り道のようだが、それぞれのポイントで力をつけてここまで来たのである。
しかし、私は「もし、ビル・クリントンと巡り合わなかったら、ヒラリーはどうなっていただろうか」と考えることがある。
公共意識の強い人で溢れる知性の持ち主だったから、どこかで推されて政治家になった可能性はかなり大きいが、案外、最初の児童保護基金の代表として全米中を走り回り、子供の人権をテーマにした世界会議で演説していたりしたかもしれないとも考える。
著者:岸本裕紀子
1953 年東京生まれ。エッセイスト。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、集英社ノンノ編集部勤務。その後渡米し、ニューヨーク大学行政大学院修士課程修了。帰国後、文筆活動を開始。女性の人生の他、社会・政治評論も手掛ける。株式会社ビックカメラ社外監査役、日大法学部新聞学科非常勤講師。著書は、『定年女子 これからの仕事、生活、やりたいこと』(集英社)、『オバマのすごさ やるべきことは全てやる!』『ヒラリーとライス アメリカを動かす女たちの素顔』『感情労働シンドローム』(以上、PHP新書)、『なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか?』(講談社+α新書)など多数。