「陽転易学」で人生をひらく
2016年01月28日 公開 2016年02月23日 更新
『最高の人生教科書 易経』より
一般的な「易占」と「陽転易学」との根本的な違い
一般に占いというと、何かが「うまくいくのかどうか」を聞くというのが相場で、うまくいきそうならば「やろう」ということになり、うまくいきそうになければ「やめよう」ということになります。
しかしよくよく考えてみると、本当に自分にとってうまくいきそうで楽しそうなことを占いなどで判断するでしょうか。
あなたがもし前々からハワイに行きたかったとしましょう。そうしたところ、たまたま商店街の福引きでハワイ豪華旅行6日間の旅、ペアでご招待という特別1等賞が当たりました。そしてうまい具合に仕事も休みがとれそうです。そして体調もばっちり。
そんなときに「あっ、そうだ! 易でこの旅行がうまくいくかどうか占わなければ!」と思う人がいるでしょうか。
おそらく、そんなことは全く思わないでしょうし、ただただ喜んでハワイ旅行に行くはずです。
つまり私たちが何か未来を知りたいと思っているときには、広義の意味で、「迷い」や「不安」が心の中にあるときなのです。
とするなら、まず私たちがすべきは、自分の心の中に「迷い」や「不安」があるのか、それを静かに見つめなおすことです。
そして易占よりもまずは、現実世界において、解決しうるものは解決すべきであると私は考えます。仕事でもなんでも、まず自分がそれを「したい」のかどうか、それを自分の心に問うべきなのです。
かつて船井総研の故船井幸雄会長からこんなことを聞いたことがあります。船井会長が経営者から新事業の相談を受けたときに、次の4つの質問に対してその経営者が「イエス」と答えたら、その事業に対してゴーサインを出したというのです。
1)あなたはその事業を本当にやりたいか?
2)あなたはその事業を成功させる自信があるか?
3)あなたのその事業で多くの人に喜びを与えることができるか?
4)あなたはもし失敗した場合でも自分ひとりで責任を負えるか?
いかがでしょうか。もしこの4つの設問に対し「イエス」と答えることができたら、易など見なくてもことを進めるべきですし、1つでも「ノー」があれば、うまくいかない可能性が高いといえるでしょう。
もし、これらの問いを経ることなく、その事業の成否を易で見ようと考えるのは、厳しい言い方ではありますが、「横着」な態度といわれてもしかたがありません。
易の勉強会では、「今日の野球の試合はどちらが勝つのか」を易で占ってみることなどを、あくまでも練習として行なうことはあります。そうして、「当たった」とか「外れた」といって、ワイワイやっています。これも単なる遊びとして割りきっているのなら、いちいち目くじら立てることではありません。しかし、「当たった」「外れた」というのは易の本質ではありません。
たとえば、今日野球が4試合あったとしましょう。そうすると易でそれを占った場合、全くのあてずっぽうであったとしても、16通りしかありませんから、16人に1人は全試合の勝ち負けが当たるという勘定になります。
それで予言が当たったといって騒いでも、一体どういう意味があるのでしょうか。ただ当てるのなら、サッカーワールドカップ南アフリカ大会で予言して8試合すべての勝敗を当てた蛸のパウル君のほうが私たちより優れており、いくら人間が予想して勝敗を当てたところでパウル君には勝てないのです。
ですから、私たちが問うべきは「勝つか負けるか」「うまくいくかいかないか」ではなく、「どうしたいのか」という心の座標軸なのです。
つまり、もしあなたが、それをどうしてもやりたいと思うのなら、「どういう心構えで取り組んだら、より満足のいく結果にたどり着けるのか」という自身の強い思いこそに目を向けるべきなのです。
またもし、あなたがそれに対して「やろうか、やめておこうか」と悩んでいるとするなら、自分の努力で解決すべき問題や疑問はすべて解消したうえで、さらにそれでも答えが出てこない場合に、この易のメッセージによる判断に従うのもいいでしょう。そうすると、易のメッセージがインスピレーションを生み出し、道が開けていくのです。
「陽転易学」は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というような出たとこ勝負の発想ではなく、これからあなたが取り組む課題に対して、明確で納得できる行動基準を提供するものでなくてはなりません。
そういった意味で、「陽転易学」は、生きた人間学といえるのです。この陽転易学によって、時代の変遷を理解し、未来を見通すための力を養うことも可能です。しかし、最も大切なことは、あなたがこれから取り組む人生の諸課題が解決され、人生の喜びをより多く体験することに他なりません。いかなる卦が出ようとも、それを素直に受け止めて善意に解釈し、人生を好転させていく。
そのためにこそ「陽転易学」はあるのです。