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坂本龍馬の船中八策はフィクションだった?

松浦光修(皇學館大学文学部国史学科教授)

2016年12月20日 公開 2023年01月19日 更新

龍馬アホ説?

ちなみに、近ごろは「新政府八策」まで龍馬の「発案」ではない、などといっている歴史学者もいます。その理由は、こういうものです。龍馬の「文体は、同時期に一般的であった書簡様文体と比較して、異様」で、それは「彼の学習経歴から見て、書簡様文体を使いこなせなかったため」にちがいない。つまり龍馬は、「国家の政体構想にかかわるような抽象的な概念を、完全には理解」できない男であり、「坂本は、その文体と言語において、抽象的な概念を駆使することはなかった。意図的にそうしたわけではなく、必要であるべきときでも、できなかったと見るべきである。この意味からすれば、いわゆる『新政府綱領八策』なども坂本の発案とは考えにくい」(青山忠正『明治維新の言語と史料』)。

これは暗に「龍馬には、そんな高級なことを提案できる知能はなかった」といっていることと同じです(以下、これを「龍馬アホ説」と呼びます)。しかし、この「龍馬アホ説」は、その前提からしてまちがっています。

おそらく今の日本の歴史学者で、龍馬の手紙に関する研究で、もっとも成果をあげているのは、宮川禎一さんでしょう。その宮川さんは、龍馬が慶応3年6月24日付で、兄・権平にあてた手紙について、「手紙文の定型」を守っているとしつつ、こう断言しています。「これを読めば、龍馬が定型的な手紙文を、書かなかったわけではないことがわかる」(『龍馬を読む愉しさ』)。また、平成28年、京都国立博物館の特別展覧会で、「現存する最古の龍馬の手紙」(相良屋源三郎にあてた安政3年9月29日付のもの)の実物が初公開されています。これも、当時としては「常識的」な礼状です。「書簡様文体を使いこなせなかった」というのが、「龍馬アホ説」の前提ですが、その前提が、そもそも成り立ちません。

その上、たとえば龍馬は、慶応3年4月23日の夜におこった海難事故(「いろは丸沈没事件」)にさいしては、『万国公法』を手に入れています(慶応3年5月11日付の秋山某あての龍馬の手紙)。そして、それにもとづいて事故を処理しようとしているのです。結果的に、その事故処理はみごとなもので、船乗りたちから、日本の航路規則を定めたものとたたえられ、その詳しい経緯を聞きに来る人も、たくさんいました(慶応3年6月24日付の坂本権平あての龍馬の手紙)。そもそも「抽象的な概念」を「駆使」できない「アホ」に、そんなことができるでしょうか。

ただし、「龍馬アホ説」には、逃げ道が用意してあります。「発案」ではない、という言い方です。「新政府八策」は、龍馬の署名入りの自筆の文書が、複数残っています。ですから、いくら「龍馬アホ説」を唱える人でも、「龍馬が書いたものではない」とはいえないので、龍馬の「発案」ではない、という微妙な言い方になっているのでしょう。

しかし、そもそも政治的な「発案」に、完全に個人のオリジナルといえるものが、はたして、どれほどあるでしょうか。たとえば、「大政奉還」という「発案」は、少なくとも200年ほどにわたる無数の人々の学問的・思想的な蓄積があって、はじめてかたちになったものです。

ある政治的なアイデアの「発案者」が、ある「個人」に厳密に限定される……という例は、歴史上、それほど多くはないでしょう。たとえ独創的と思える「発案」でも、その背後には、さまざまな学問と思想の、長い歴史的な積み重ねがある……というのがふつうです。

その上、「新政府八策」に書かれていることは、そのころの政治家たちからすれば、それほどビックリするような内容ではなく、その当時は、ある意味ではふつうの政権構想で、また、そうでなければ、さまざま政治勢力の合意形成など、そもそもできなかったでしょう。もしも龍馬が、そのようなふつうの政権構想さえ「発案」できないような「アホ」であるなら、どうして、そのころ幕府、薩摩藩、長州藩、土佐藩、越前藩など、さまざまな政治グループの中心にいる人たちが、生きるか死ぬかという緊迫した政治状況のもと、あれほど龍馬を信頼し、重んじたのでしょうか?

常識的に考えて、ありえない話です。「龍馬アホ説」にもとづいている「新政府八策は龍馬の発案ではない」という見解は、私には、今のところいいかがりとしか思えません。

もちろん歴史の研究をする上で、それまでの通説を疑うということは、大切なことです。しかし、疑う必要のないものまでを疑うというのは、よくありません。そんなことをしていると、かえって人は歴史の真実から、どんどん遠ざかっていくのではないでしょうか。

「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」(『論語』)という金言もあります。

 

本書の企画がきっかけになって、「イマジニア」の知的教養動画サイト「10MTVオピニオン」でも、龍馬や「五箇条の御誓文」のことをお話しいたしました。その動画のうちのいくつかは、無料でアップロードしていただいておりますので、よろしければご覧ください。

著者紹介

松浦光修(まつうら・みつのぶ)

皇學館大学 文学部国史学科教授

昭和34年、熊本市生まれ。皇學館大学文学部を卒業後、同大学大学院博士課程に学ぶ。現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)。専門の日本思想史の研究のかたわら、歴史、文学、宗教、教育、社会に関する評論、また随筆など幅広く執筆。著書に、『【新訳】南洲翁遺訓──西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』『【新訳】留魂録──吉田松陰の「死生観」』『【新釈】講孟余話──吉田松陰、かく語りき』(以上、PHP研究所)、『大国隆正の研究』(神道文化会)、『やまと心のシンフォニー』(国書刊行会)、『夜の神々』(慧文社)、『日本の心に目覚める五つの話』(明成社)、『日本は天皇の祈りに守られている』(致知出版)など。

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