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大ヒットシリーズ『信長の野望』はどのようにして生まれたのか?

シブサワ・コウ(コーエーテクモホールディングス社長)

2017年04月18日 公開 2022年06月15日 更新

戦国武将は「経営者である」と考えてみる

『信長の野望』にはもう一つ、ヒットした重要なポイントがありました。それが「経営する」という要素です。

私が制作した最初の作品である『川中島の合戦』は、武田信玄と上杉謙信が5度にわたって激しい戦いを繰り広げた「川中島の戦い」を舞台にし、将棋のようなルールでプレイヤーが勝敗を競い合うゲームです。

このあとにもシミュレーションウォーゲームを何作か作りました。『ノルマンディー上陸作戦』『ダスブート』『コンバット』などです。これらのいずれのゲームも戦いに特化しています。敵がはっきりしていて、戦いに勝つことを目標にしている。ある意味、非常に単純なゲームです。繰り返し楽しめるという特徴もあるので、多くのお客様に支持していただき、おかげで光栄も成長していくことができました。

しかし、ほかに思うこともありました。

それは戦国武将には奪い、奪われるという戦いメインの要素だけでなく、国をマネジメントするということにも大きな力を注いでいたのではないかということです。そのことは自分に照らし合わせても容易に思い当たることでした。

私はゲーム会社を始める前に、染料工業薬品の会社を継いでいました。その時代には、染色工場やプリント工場などに営業して、商品を売っていました。これが当時の主な仕事です。そして、売れれば売上げが上がり、利益も出ました。営業することは戦国武将にとっては戦に相当することといえます。

しかし、経営者の私には、営業以外の仕事も当然ありました。財務も人事も在庫管理もあります。ゲームソフトの開発に業務を移してからも、技術開発、設備投資、コスト管理、取引先との交渉、採用、社員教育など、当然いろいろな業務があります。ゲーム開発と営業だけをしていればよいわけではありません。

武将や将軍、国のトップといった歴史上の人物たちは戦いだけに明け暮れていたわけではないだろう。戦は戦国武将にとって一部でしかないのではないか。ほかにももっとすべきこと、していたことはたくさんあるのではないか。そうしたことを考えたのです。

武将の立場で見れば、領地の経済政策、町作り、治水、田畑の開拓、配下の武将や領民の面倒見、外交交渉、軍備の維持・拡大など、すべきことは幾つもあることがわかります。

どうしても、戦国武将=戦と決めつけて考えてしまいがちです。しかし、会社組織に置きかえて考えてみれば、課長は課のトップとして課全体を経営していく、部長は部のトップとして、部全体を経営していく必要があり、評価も部門の利益、部下の育成といった要素が含まれています。そう考えれば、戦国武将も経営者も会社の部課長も何ら変わりはないはずです。

そうした事実に思い至った私は、戦争のシミュレーションにとどまらない、より広がりのある「歴史シミュレーションゲーム」を作ろうと思い立ちました。

そこで私は信長がしていたことをノートに列挙していきました。ペンで一つ一つ書き出していったのです。

それらの中で特に重要に思えるものをゲームのコマンド(命令体系)として作っていきました。このコマンドを行なうと、ゲームはこう進む、といったシステムに落とし込んでいったのです。

そうしてできた『信長の野望』は歴史シミュレーションゲームであると同時に、マネジメントゲームでもあります。領国を経営する、マネジメントする側面も併せ持っているからです。ゲームの楽しみ方がより深く、幅広くなったといえます。そういったリアルな「経営」の要素が、多くの人の心をとらえたのです。

『信長の野望』は発売当初、それほど売れませんでした。しかし、口コミで徐々に評判が広がり、最終的には大ヒット作になりました。『信長の野望』はその後、シリーズ化され、今も続くタイトルに成長しています。

 

※本記事は、『シブサワ・コウ 0から1を創造する力』(PHP研究所刊)より、一部を抜粋編集したものです。

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