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中国経済の将来像を読み解く5つの視点

津上俊哉(中国経済評論家)

2017年08月14日 公開 2017年08月16日 更新

※本記事は津上俊哉著『「米中経済戦争」の内実を読み解く』(PHP新書)「はじめに」より、一部を抜粋編集したものです。

はじめに

私は2017年1月上旬から3月末まで、勉強のために米国ワシントンDCに短期滞在した。1月20日にトランプ大統領が就任式で啞然とするほど攻撃的な演説をした。翌21日にはトランプ大統領に反対する数十万人が市街をデモ行進した。そんな光景を目の当たりにするところから、私のワシントン生活が始まった。

メディアの大多数は大統領を批判し、大統領はそういうメディアを「米国民の敵」と罵倒する……選挙戦の対立がそのまま持ち越されて「ハネムーンの百日間」どころではなかった。大統領やその周辺とロシアの「密接な関係」が争点になって以降は、大統領が苦戦を強いられていて、それを挽回すべく、2月中旬からは支持者を集めた集会を再開して気勢を上げていた。米国には国を統合する求心力を備えた元首がいなくなってしまった。

日本にいると「ひどい大統領を選んだものだ」という感想しか浮かばないが、当地に身を置くと「全米が大統領のトンデモ言動に怒り、非難の声を挙げている」訳ではないことが見えてくる。

ワシントンは20年前に訪れたときより格段におしゃれな街になっていたが、TVが映し出すラストベルト地帯の光景はまったく別物だ。そこには日本の「失われた20年」とも似て、地域が寂れ、人々の暮らし向きも一向に良くならない別の米国がある。米国メディアは、そんな地域の住人たちの声なき声に無関心だったせいで、最後までクリントン候補の当選を疑わずに「世紀の誤報」をしてしまった。

米国民の半分近くは「グローバリゼーションは自分たちの暮らしを悪くするだけだ。ポリティカル・コレクトネス(民族や性のマイノリティの権利の尊重)もウンザリだ」と考えている。トランプはそのことを見抜いたのだ。

 

中国と米国

私はリーマン・ショックが起きた8年半前から、中国と米国という2つの国を見比べてきた。

2008年に起きたリーマン・ショックの後は、世界中が「米国の時代は終わった」「次は中国だ」と感じたいっときがあった。しかし、その後「4兆元投資」が中国にもたらした投資バブルの有様や、2012年に公開された人口動態の深刻なデータを見て以降、私は「こんな高成長は長続きしない」と確信して、能天気な楽観論に警鐘を鳴らしてきた。

それから8年が経つ間に、米国はいつの間にか「世界でいちばん経済の調子が良い国」になり、中国はバブルが崩壊した現実に向き合えないまま、公共事業で成長を嵩上げする状態になりつつある。

「どっこい、米国の覇権的地位は簡単に揺るぎそうにない……」そう感じるようになった矢先に、トランプが大統領になって「米国を再び偉大にする」公約とは真逆に、米国の覇権・世界の指導者的な地位を駄目にしそうな政策を標榜している。私はワシントンに来るまで、その「タイミングのずれっぷり」が歯がゆくてならなかった。

しかし、当地で米国社会に深い亀裂が走っているのを目の当たりにして、考えが変わった。この亀裂は、米国という国、その社会、政体が、市場経済に立脚した開放的な経済政策や多様性を重んじるリベラルな価値観をこれ以上支えきれなくなっている現実を示しているのではないか。この問題の根深さは想像を超えるものだった。

だとすれば、中国の高成長が持続可能に思えないのと同様、世界のリーダーとしての米国の地位もまた持続可能性がなくなりつつあるのではないか。トランプが米国の覇権を衰退させる「原因」になる訳ではない。彼は以上のような意味で、米国の覇権が衰退し始めた「結果」なのだ。仮にトランプが大統領の座を追われても、富の不平等や移民をめぐる軋轢といった問題について、きちんとした手を打たなければ、もっと尖った「トランプ2号」が出てくる恐れがある。終わりの始まり……それがこれからの21世紀である気がしてきて、私はワシントンで暗澹とした気持ちになった。

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「やはり次は中国の時代」か?

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