明治神宮~初詣の参拝者数全国1位の神社、その意外な誕生秘話
2017年12月30日 公開 2023年01月05日 更新
パワースポットの由来、神宮外苑が造営された理由
社殿と内苑の造営はちょうど大戦景気の最中におこなわれたので、物価が高騰し、人件費が急増してしまう。そこで献木を募ったり、労働力については青年団に依存したのである。そんな青年団の中心メンバー・田澤義鋪(よしはる)によれば、280近い青年団体から一日に1万5千人が神宮造営に奉仕したという。
ところで明治神宮の境内に、パワースポットがあるのをご存じだろうか。
それが「清正井(きよまさのいど)」だ。井戸というと、深い穴のなかに水があるというイメージを浮かべるが、この井戸は水が湧き出ているのだ。
清正というのは、豊臣秀吉の部将・加藤清正のことだ。朝鮮出兵での虎退治や熊本城の築城でも有名だろう。この井戸は清正が掘ったといわれるが、それが事実かどうかわからない。清正の息子・忠広の下屋敷があったことから、そのようなイメージが出来上がったのだろう。忠広の時代に加藤家は取り潰しとなり、かわって譜代の井伊家の下屋敷になった。最近はパワースポット・ブームも廃れてしまっているが、少し前はこの清正井を携帯電話の待ち受け画面にすると、良いことがあるといわれ、多くの人々がパワーをもらいに集まった。
さて、いっぽうの外苑だが、その造営は物価高にくわえ、関東大震災などもあって、大正13年にようやく完成したのだった。
ところで神宮外苑といえば、銀杏並木で有名だ。並木路は青山通り沿いから真っすぐに軟式野球場の噴水まで伸び、球場の先には聖徳記念絵画館がそびえ立つ。絵画館は、中央にドームを持つ花崗岩で外装された白亜の殿堂で、そこへと続く銀杏並木の風景はまさに一幅の絵のようだ。
この並木路は、神宮外苑の完成に先だって造られた。銀杏の親木はなんと新宿御苑のもので、ここから採取したギンナンを代々木の宮内省南豊島御料地内で発芽させ、1600本の苗木のうちから厳選して、ここに植樹したのだという。現在、外苑の銀杏は146本、樹齢は百年を数え、最大樹高28メートルに及ぶ。
この街路は、折下吉延博士の計画によるもので、博士の工夫が隠されている。気づいた人は少ないだろうが、よく見ると、青山通りに近づくほど樹の背が高くなっているのだ。その差は最大7メートル。つまり、樹木を下り勾配に配置するという遠近法を用いて、路に奥行きと広がりを与え、見事な景観をつくりあげていたのだ。
明治天皇とその后妃(昭憲皇太后)の遺徳を偲ぶためにつくられた神宮外苑であるが、それ以前は陸軍の青山練兵場であった。明治天皇は、しばしばここに臨御して観兵式をおこなっており、今でも外苑内には「観兵榎(えのき)」なる古樹が存在する。
天皇の観兵に際し、この榎の下に御席を設けたことから、その名がついたといわれる。明治天皇の大葬もこの青山練兵場で挙行されている。このように、天皇とは大変縁の深い場所だったため、内苑と離れたこの地に神宮外苑が造成されたのである。
聖徳記念絵画館には、明治大帝の生涯と業績を描いた80点の絵画が展示されており、どの絵も当代一流の画家が描いたもので、迫力は十分である。
やがて神宮外苑には、神宮球場、テニスコート、プール、体育館、国立競技場、秩父宮ラグビー場と、次々にスポーツ施設が建設され、今日では庶民の娯楽・憩いの場になっている。
※本記事は、河合敦著 『「神社」で読み解く日本史の謎』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。