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生き方

前向きな気持ちになるには ?~ 松下幸之助 前を向く人生の歩き方

大江弘(PHP研究所社会活動部長)

2018年01月01日 公開 2024年12月16日 更新


 

過去の不運を嘆き、失敗を悔やんでいても……

「なぜ自分があんな目に遭わなければならなかったのか」
「もっと違うやり方をしていたら結果は違ったはずなのに」

いつまでも過去の不運、不遇を嘆いたり、失敗を悔やんでいても新たな道はひらけません。意欲を高めつつ、勇気を奮って前進するところに、幸せな人生が待っているのではないでしょうか。お互い、どれほどの苦難にぶつかろうとも、前向きな気持ちを忘れず、知恵を絞り、力を尽くして歩いていきたいものです。

とはいえ私たちは、とかく過ぎ去ったことにこだわり、悩み、立ちすくんでしまいがちです。時として自信を失うことも、勇気が出ないこともあります。気持ちが落ち込み、夢や希望を見失うことも少なくありません。前向きに行こうと自分に言い聞かせても、なかなかそうはなれないものです。

パナソニックという世界的企業を一代で築いた松下幸之助は、いくつもの苦難に遭遇しました。後に経営の神様と称されるようになった幸之助であっても、やはりその都度、あれこれ思い悩んだに違いありません。しかし、そこにとどまらず気持ちを前向きにし、果敢に挑戦し続けた。だからこそ、今日のパナソニックがあると言えます。では幸之助は、どのようにして自分の気持ちや考え、行動を変えていったのでしょうか。

すでに起こった事実、体験した事柄は変えようがありません。たとえば松下幸之助は、実家が破産し、9歳で丁稚奉公に出ることになりました。またその際、小学校を中退、満足に教育を受けることもできませんでした。加えて、幼い頃から蒲柳の質で、20歳の折には肺尖カタルを患い無理がきかない身体になっています。こうした事実は運命というべきものであり、決して変えることはできません。幸之助は一般的に見れば、非常に恵まれない、不遇な運命を担っていたわけで、悲観的になってもおかしくはないでしょう。しかし幸之助は、丁稚奉公に行ったお蔭で、商人としての躾、教育を早くから受けることができ、それが商人としての糧になったと解釈します。また、満足に教育を受けることができなかったことについては、そのお蔭で周りの人を皆偉い人だと考え、謙虚に話を聞くことができて、適切な判断が下せるようになったと言っています。さらに身体が弱くしばしば病床に伏していたことから、多くの仕事を人に頼まざるをえなかった。そのため、自分一人で行う以上の仕事が一度にできたというのです。ともすると後ろ向きの見方をしがちな事実であっても、解釈一つで前向きに変えることができる。なかなか難しいことですが、松下幸之助はそんな見方に徹して歩み続けたのです。

松下幸之助の場合、こうした事例は枚挙にいとまがありません。電灯会社に転職するまで幸之助はセメント会社で運搬工として働いていました。現場までは船で渡るのですが、ある日のこと、船べりに腰かけていた幸之助は、足を滑らせた船員に巻き込まれ、海に落ちてしまいました。何とか浮かび上がったものの船ははるか遠くに行っています。溺れそうになりながら必死にもがいていると、戻ってきた船に救い上げられ一命をとりとめています。また、自転車で製品を運んでいたところ、出合い頭に自動車にはねられ、しかも倒れたのが路面電車の線路の上で、何とか電車が目と鼻の先で止まって、危機一髪、ひかれずに済んだということもあります。

こんな時は、海に落ちたことや車にはねられたことばかりに思いがゆき、何と自分は不運なのだと嘆くことが多いのではないでしょうか。ところが幸之助は、海に落ちても助かった、車にはねられても傷一つ負わなかった、自分は何と運が強いのか。これならちょっとやそっとのことでは死なないし、きっと何かを成し遂げることができるに違いないと解釈します。これ以上はないというほど前向きな思考です。

事実は一つでも、とりようによっては解釈が異なってきます。解釈が異なれば、気持ちは後ろ向きにも前向きにもなるわけです。前向きに生きていくためのコツは、こうした松下幸之助流の柔軟な解釈の仕方、考え方にあるのではないでしょうか。
 

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