50代の世界のイノベーターたち―現状を正しく認識し行動すれば、年齢は関係ない
2018年08月06日 公開 2024年12月16日 更新
<<イノベーションの時代。すべての人に革新的なアイデアと迅速な実行力が求められている。誰も思いつかなかったことを実践してしまうイノベーター。それは一握りの特別な存在だ、自分には無理だと考えがちだ。
しかし、時代をつくるアーティスト、ニーズを先取るビジネスリーダー、便利さを生み出す発明家。誰もが知っているあの偉業、あの商品は、「ほんのちょっとの差」から生まれたのだ。
ビジネス作家のポール・スローンが、ジャズ、ファーストフード、医療を例に、"イノベーターのすごいアイデア"を紹介する>>
(※本稿は、ポール・スローン著『いつもの仕事と日常が5分で輝く すごいイノベーター70人のアイデア』(TAC出版)より、一部を抜粋編集したものです)
ヘヴィ・ロックとジャズの融合だけで満足しない。マイルス・デイヴィスは50年間走り続けた
マイルス・デイヴィスは、20世紀で最も革新的かつ影響力のあるミュージシャンの一人と考えられている。
ジャズの概念を変え続け、モダンジャズ時代を定義づける、ジャズ・インストゥルメンタルの即興スタイルのビバップを、先頭に立って広めたのだ。
デイヴィスは1926年に、イリノイ州で歯科医と音楽教師の両親の間に生まれた。13歳のときにトランペットの吹き方を父親から教わると、すぐさま音楽の才能を開花させて、10代でプロとして演奏を開始した。
17歳のとき、彼に幸運が訪れる。有名ミュージシャンのディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーが、病気になったトランペット奏者の代役をこの若きスターに依頼したのだ。
この体験に大いに刺激を受けたデイヴィスは、18歳でニューヨークへ移ると、昼間は音楽芸術研究所(現ジュリアード音楽院)で学び、夜はハーレムのナイトクラブで演奏を行った。
やがて、学校を中退してミュージシャンの道を選んだデイヴィスは、チャーリー・パーカー・クインテットに加わる。
その後、マイルス・デイヴィス・セクステットを組むと、自分の持ち味とするトランペットの即興演奏スタイルを引き続き発展させていった。
1960年代のデイヴィスは、バンドもみずからの音楽もスタイルを変え続けた。彼はジャズ・フュージョン・ムーブメントをけん引したが、これはジャズとヘヴィロックを融合したものだった。
従来のトラディショナルジャズのファンにはやり過ぎと映ったかもしれないが、彼はファンを喜ばせること以上に、自分の限界を押し広げることに強い関心を持っていたのだ。
1970年代にデイヴィスは二度目の薬物依存症となり、人前から姿を消した。デイヴィスは終わったと多くのファンは思ったが、1980年代になると再び姿を現した。復活したのだ。
1986年にリリースしたアルバム『TUTU』ではさらなる進化を遂げ、シンセサイザーやドラムループ、サンプリングサウンドを使ったこのアルバムは、批評家たちからも賞賛された。
デイヴィスのジャズへの取り組みに、終わりはなかった。新しいことを試すたびに議論を呼んだが、彼は50年にわたり、先頭に立ってジャズを大きく発展させてきたのである。
偉大なイノベーターは、すでに得た栄誉に満足することはない――イノベーションし続けるのだ。