50代の世界のイノベーターたち―現状を正しく認識し行動すれば、年齢は関係ない
2018年08月06日 公開 2022年06月06日 更新
マクドナルドの世界的発展の祖、レイ・クロック。50歳を超えて「ファーストフード方式」を作り上げた
レイ・アルバート・クロックは1902 年に、イリノイ州でチェコ系の両親の間に生まれた。
第一次世界大戦では年齢を偽って15 歳で従軍し、赤十字の救急車の運転手を務めた。戦後は様々な職業を経験し、30 年間で、ピアニスト、ラジオDJ、セールスマンをし、ホテルやレストランでも働いた。
やがてミルクセーキ製造器の訪問販売員になり、1954 年に、カリフォルニアでレストランチェーンを展開するマクドナルド兄弟に出会う。
彼らのチェーン店と、ハンバーガーを調理する流れ作業の手法に、クロックは大きな可能性を感じ取った。ほかのハンバーガー店とは違って、厳選されたメニューを提供し、迅速なサービスと品質に特化していたのである。
クロックは利益の一部を支払う条件で、フランチャイズ代理人に加わった。当時は、地理的に広範囲なフランチャイズ展開が業界の常識だったが、クロックは管理を徹底するため、フランチャイズ権を店舗ごととする新しい方法を始めた。
彼は1955 年にマクドナルド・コーポレーションの社長に就任すると、1961 年には270 万ドルで同社を買い取った。
クロックは多くの効率的な手法やイノベーションを導入した。最も重要なアイデアが、ファストフード方式のオートメーション化と標準化を行う流れ作業工程だった。
彼はフランチャイズ権を求める応募者に対して、やる気や野心の有無を慎重に審査し、選んだ者には、イリノイ州にある「ハンバーガー大学」に通わせた。
完璧なハンバーガーやフライドポテトをつくる技術や手法をすべて学べる、レストラン業界では初のシステムである。
準備、分量、調理手順、衛生管理、スタッフ管理に関して、クロック流の厳しいガイドラインを叩きこまれ、これにより、マクドナルドが提供するものは世界中どこでも同じ形で、同じ味になった。
注文から商品提供までに5分以上かかったら返金するというルールも、クロックが導入したものだった。
クロックが従業員としてマクドナルドに加わったのは52 歳、同チェーンのオーナーに就任したのは59 歳のときだった。彼はその仕事を、その後20 年間続けたのである。