天草エアラインの危機を救った「合い言葉」
2018年10月18日 公開 2019年04月03日 更新
<<全日空(ANA)勤務を経て気象予報士としてテレビでも活躍。現在は健康社会学者として大学で教鞭も取る河合薫さん。著書の『残念な職場』(PHP新書)では、”残念なことが毎日のように起こる職場”の事例を紹介している。
上層部の意図に沿わない成功は全く評価されず、上層部の方針に従って出した大赤字は「ナイスチャレンジ」と見なされる…。そんな企業は例に漏れず業績は悪化の一途。
一方で、同書では、”残念な職場”を脱却した「胸が熱くなる! 改善の具体例」も記している。その一つとして再建に成功した小さな航空会社「天草エアライン」のエピソードがある。ここではその一節を紹介する。>>
※本稿は河合薫著『残念な職場』(PHP新書)より一部抜粋し編集したものです
“コスト削減”しか叫ばない社長と、企業を復活させる社長の違いは「合言葉」
創業以来赤字続きで4年目に存亡の危機に立たされた「天草エアライン」が奇跡的に倒産を免れたのは職場の「合い言葉と道具」のおかげでした。
「親子イルカ号」を飛ばす同社は、1998年に熊本と天草を結ぶ目的で誕生した第3セクターの航空会社です。地元民の期待を集めて2000年に就航したものの、全く採算はとれず赤字が続きました。
県庁や大手航空会社からやってくる社長たちは「経費を削減しろ!」「無駄を無くせ!」の大合唱。
「これ以上、削るところなんかない……」と社員たちの士気が下がりまくっているときに、社長に就任したのが奥島透氏です。
JALグループの成田整備部門のトップだった奥島さんは出社初日に、「移動の手段としてじゃなく、天草エアラインの飛行機に乗りたい! と思う飛行機にしよう!」と明言し、「天草らしいサービスって、なんだ?」と、社員たちを問いただしました。
その後も「天草らしさを考えたか?」「天草らしいサービスってなんだ?」と社員の顔を見るたびに問い続けました。
奥島社長は毎朝、社員の誰よりも早く出社。乗客の荷物を運び、機内清掃を手伝い、夜遅くまで飛行機の整備をする整備士さんたちに差し入れをし、整備士の先輩として後輩たちを指導しました。