「改革は自分が退職金をもらってからに…」と願う人たちの正体
2019年03月26日 公開 2022年07月08日 更新
業績が向上しなくとも内部留保が増え続ける謎
日本の会社において、労働組合と経営者は同じイエに属する仲間です。労働組合の幹部が出世コースのひとつになるのもこのためで、組合は正社員だけを守り、成功した正社員が社長になってイエを守るという二人三脚をつづけています。
業績がたいして向上していないにもかかわらず内部留保だけが増えつづけていく日本の会社の不思議もこれで説明できます。イエのメンバーである正社員の生活を守るため、業績とは関係なくひたすらお金を貯め込もうとするのです。
こんなことをされては、株式会社の「所有者」である株主はたまりません。会社が利益をあげて配当を出し、企業価値が向上して株価も上がると期待するからこそ、投資家は株を買って株主になるのです。
村上ファンドを創設した村上世彰さんは「物言う株主」として恐れられ、嫌われました。
日本の経営者に「使い途のないお金は株主に配当しろ」と正論を主張したところ、インサイダー取引の容疑で逮捕されてしまいましたが、この事件も、会社を「社員の共同体」として私物化している経営者の反撃だと考えると理解できるでしょう。
こんな歪(いびつ)なシステムが持続できたのは、経済成長によって市場のパイが増えていたからで、ひとたび成長が止まれば限られたパイを奪い合う醜い争いが始まるのは当然です。
こうして日本は、批判や罵倒が飛び交うぎすぎすした社会になってしまいました。
保守派はこれを「中国・韓国が悪い」とか、「反日勢力が日本の伝統を破壊した」とかいいますが、その本質は「身分制社会」において、それぞれの「身分」で利害対立が表面化したことです。それを解決するには、「身分でひとを差別しない社会」にするしかありません。
経営者も労働組合も、日本的雇用が機能不全を起こしていることはじゅうぶんわかっているはずです。しかし状況を変えようとすると、既得権が失われてしまいますから、自分からは言い出すことができません。
「改革はいいけど、自分が満額の退職金をもらってからにしてほしい」というのが偽らざる本音でしょう。
置かれた場所で枯れていく日本型会社員の末路
その結果、日本企業は上から下まで不満を抱えた社員だらけになってしまいました。シニア社員は、会社を辞めてしまえば生きていく術がありませんから、どんなことをしてでもしがみつこうとします。
若い社員は安い給料で長時間労働を強いられ、上の世代に比べて圧倒的に割を食っていることに不満を募らせています。
女性社員は、出産によってキャリアを閉ざされることに不安を感じ、専業主婦になろうかどうか悩んでいます。
そんな彼らの下層には、非正規という「奴隷」のような労働環境に置かれたひとたちがいます。
日産の前会長カルロス・ゴーン氏が特別背任罪などで逮捕され、長期に勾留されていることや、弁護士の立ち合いなしに検察の尋問が行なわれていることが、欧米のメディアから「魔女裁判」「中世のよう」と批判されています。
これまでも容疑者への検察の取り調べは「人質司法」といわれてきましたが、司法関係者はいっさい耳を貸しませんでした。
ところが今回は、裁判所は「外圧」に腰が引けたようで、ゴーン前会長の側近であるグレゴリー・ケリー前代表取締役の釈放を認めました。無実を主張している容疑者の釈放は「異例」で、検察は大きな衝撃を受けたと報じられています。
日本はいつもそうですが、すべての組織がタコツボをつくりひたすら「前例」を踏襲しようとするので、自分たちがやっていることが「世界標準」に照らしていかに異様なのかわからなくなってしまいます。
そんなお役人たちは、内(日本人)に対してはきわめて高圧的で、外(欧米)からバッシングされると慌て出すのです。
社会全体がタコツボ化した日本では、個人の努力で組織を変えることもできなければ、他の組織(会社)に移っていくこともできません。環境(客観)が変えられないとしたら、あとは主観を変えるしかありません。
だからこそ他人になにをいわれても気にしない「嫌われる勇気」を持って「置かれた場所で咲く」以外になくなるのです。
もっともほとんどの場合、嫌われる勇気を持つことはできず、置かれた場所で枯れてしまうのですが。