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私の苦闘時代~池森賢二・ファンケル創業者

2019年06月04日 公開 2019年06月04日 更新


 

化粧品公害という大きな社会問題

ここで話す話題は、ファンケル創業前、私が化粧品公害という大きな社会問題に出合い、その「不安」を解決するために悪戦苦闘をしていたときの話です。

いまから約40年前、私が40歳のころ、多額の借金を返し終えたころです。私の家内の顔に湿疹ができ、この原因が化粧品であることが分かったことから、なぜ女性を美しくするための化粧品で皮膚トラブルが起きるのかと、強く関心を持ったことがきっかけでした。

当時、日本は戦後の高度経済成長期で、経済成長がすべてに優先され、安全や安心は軽視されていたため、水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病などの公害が大きな社会問題として取り上げられていた時代でした。

化粧品もこの例に漏れず、肌に対する安全・安心は軽視され、朝用に5品、夜用に7品、春夏秋冬や年齢による使い分けなど、安全性を度外視して洪水のごとく販売されていました。大手メーカーでは、高校を卒業した女性を公民館に集めて、社会人の常識としてメークの使い方などを指導していました。ニキビが出ているような若い女性がメークをすると、ニキビが悪化して化膿してしまいます。すると、今度はニキビ用化粧品、治った跡が黒くシミになると、シミ取り用化粧水をすすめるなどして、安全でない化粧品を次々と顔に塗り込む化粧法を、化粧品メーカーが推奨していたのです。鏡台に10種類もの化粧品を置いて使っていた人も多かった時代です。

最悪なのは、石油系界面活性剤を使用したクレンジングクリームでした。これでメークを落とすと、化粧の汚れや顔についたホコリなどの汚れが一緒になって、指の力も加わり皮膚の深部まで入り込んでしまい、後でカット綿で拭き取っても毛穴や汗穴、皮膚のシワの深い部分にその汚れが残ってしまい、油焼けや、顔面黒皮症へと悪化していく、このように化粧品の使い過ぎで皮膚トラブルを引き起こしている女性たちの苦痛や嘆きを、私は知ったのです。

解決方法は、化粧品を使わないことが一番なのですが、女性は20歳を過ぎると皮脂の分泌が衰えて、素肌のままでいると肌が乾燥しシワになりやすく、すっぴんのまま日光に当たるとシミになりやすいなど、化粧品は必需品なのです。

そこで必要最小限で良い「Simple is the Best」という考えに至ったのです。洗顔クリームで皮膚の深部まできれいに洗い流し、化粧水で潤いを与え、美容クリームで皮脂分を補う、「洗う、潤す、補う」だけで良いという結論に到達しました。

多くの女性たちを化粧品公害から救ってあげたいという正義感に駆られ、この理論を引っ提げて、1日100件の飛び込み説教を始めたのです。このときに販売をしていたのはAタイプ[*]です。当時の化粧品販売は「訪問販売」が多く、私もその仲間と見られて、水をまかれたり塩をかけられたりしました。しかし強い信念のもと、東京都北区、荒川区を中心に3カ月かけて9000件訪問し、女性の肌の悩みを聞きながら、夢中になって化粧品公害の実態を訴え続けました。

9000件回り終えたころから理解者が増え、紹介が増えると同時に、会社や公民館で話してほしいといった要望が増えてきました。それに伴い、Aタイプの化粧品の売上が徐々に増え続け、化粧品販売でビジネスをしながら女性を救うことができると、確信を持てるようになりました。

私が化粧品公害の実態を訴えたなかで、女性が大きな反応を示してくれた内容をまとめて『素肌美ニュース』として一枚のチラシにしました。

そして1980年4月7日、横浜市緑区の竹山団地に最初のチラシをまいたのです。当時は横浜中心でしたが、売上も伸び、資金ができるたびにチラシを増やし、2年ほど後には全国にチラシをまけるようになりました。チラシの内容は少しずつ変わりましたが、原型はほぼ同じです。

北海道から沖縄まで3カ月に1回、洪水のごとくチラシをまき続けました。いまだにファンケラーとして当社のファンになってくださっているお客様は、このころのお客様が多く、理念に共鳴して使い続けてくださっているのです。

これから2年くらい後に、Bタイプの無添加化粧品が生まれました。

[*]Aタイプ 無添加化粧品の誕生前に販売していた、最低限の添加物のみの使用に抑えたアミノ酸系弱酸性化粧品

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著者紹介

池森賢二(いけもりけんじ)

1937年6月1日、三重県伊勢市生まれ。59年4月、小田原瓦斯株式会社入社。73年に同社を退社し、仲間数人とコンビニエンスの経営を始めるが失敗。そのときに抱えた負債を2年半で完済する。その後、当時社会問題となっていた化粧品による皮膚トラブルに着目し、80年4月、無添加化粧品事業を個人創業、81年8月、ジャパンファインケミカル販売株式会社(現在の株式会社ファンケル)を設立、代表取締役社長に就任。99年12月、東京証券取引所第一部に上場。自ら定年制をしいて2003年に会長、05年名誉会長に就任。13年1月に経営再建のため執行役員として復帰し、同年6月、代表取締役会長執行役員に就任、現在に至る。高齢社会を迎えた日本の医療費削減と「健康寿命」を延ばすための予防医療の必要性を掲げ、13年、私費を投じ東京・銀座に医療法人財団健康院「健康院クリニック」を開院。公益社団法人日本通信販売協会副会長、同協会第7代会長、社会福祉法人訪問の家後援会第2代会長を歴任し、現在、一般社団法人高機能玄米協会会長を務める。著書に、『ファンケルあくなき挑戦』(神奈川新聞社)、『社長から社員への手紙』(飛鳥新社)、『優しさと感動のこだま』(講談社)、『物事は単純に考えよう』(PHP研究所)などがある。

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