<<同窓会に出席すると、同じ年に生まれたはずが、だいぶ年上に見えたり、だいぶ年下に見えたりする。そんな経験を皆さんもしたことがあるだろう。
あるとき、年下に見える同級生には共通点があることに気が付いたと成毛眞氏は語る。それは若者に囲まれている職業に就いていたということ。若い人と接していると、顔もおそらく考え方も若くなるということだろう。
定年を迎えると、同窓会が増える。忙しかった同級生が一斉に時間に余裕を持つようになるので、自然な現象と言える。
いつまでも若くいたければ、若い人との接点を失わないことだが、そのために何をしたらいいのか?成毛氏の著書『俺たちの定年後 -成毛流・60歳からの生き方指南-』の一説から若く見られる秘訣を紹介する。>>
※本稿は、成毛眞著『俺たちの定年後 成毛流・60歳からの生き方指南』(ワニブックス刊)より、一部を抜粋編集したものです。
若者の当たり前を教えてもらう
同窓会に欠点があるとすると、それは、同世代しか集まらないことだ。
自分と同じように年を取った人しかその場にはいない。なので、話はついつい思い出の繰り返しに終始しがちだ。それも悪くはないのだが、何か新しい刺激を得たいと考える人には物足りなさもあるはずだ。
若い頃は年上の人の体験談も面白く聞けたものだが、60歳を過ぎると自分自身の経験もいろいろと積まれているので、よほど珍しい体験談でないと、ワクワクできない。これは仕方のないことだ。
その点、30歳代よりも下の若者は、60歳代の知らないことをよく知っている。
平成生まれの彼らは大人が携帯電話を使っているのは当たり前の時代に育ち、インターネットや検索サイトがない環境を想像できず、ダイヤル式の電話やカセットテープに触ったことがなく、テレビのチャンネルを変えるのにリモコン以外を使ったことがない。
蛇口と言えばひねるものでなく人感センサーで水が出るものだし、改札口と言えば無人が当たり前だと思っている。
そうした若者を前に「ものを知らない」と言うのは簡単だし「昔どうだったか教えてやろう」と考えるのは誰でもできることだ。
しかし、齢60を超えた人間に必要なのは、若者に対して上から目線で講釈を垂れることではなく、今の彼らが何を面白がっているのか、彼らにとっては何が当たり前なのかを教えてもらうことだ。
これこそが、新しい刺激である。