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日本のものづくりを支える 「放電精密加工研究所」 の危機を解決したアメーバ経営

二村勝彦(株式会社放電精密加工研究所会長)

2019年08月07日 公開 2019年08月07日 更新

 

「人心が荒れている」危機からの脱出のために

――では、御社ではアメーバ経営にはどのような経緯で取り組まれるようになったのですか。

(二村)じつはアメーバ経営を導入する前から、当社では管理会計を運営させていました。

昭和40年代前半から、当社では「事業部制」を取り入れ、事業部長は自分の意思で事業を構想して組織を運営し、同時に採算責任を担っていました。さらにその延長線上で、課長クラスには「一人[いちにん]一[いち]事業部」として、一人ひとりが経営者になって仕事を完結させるよう、社員教育をしてきました。

同時に「採算管理」をも行ない、細かい科目に至るまで毎月きちんと数字を挙げて分析していました。ですから、「経営の数字」に対する意識は、現場クラスのマネジャーも高かったと思います。

――「管理会計」がきちんと機能していたのですね。それならなぜ、アメーバ経営を導入されたのですか?

(二村)アメーバ経営導入の2年前、新興国の成長に伴い電力需要の拡大が見込まれ産業用ガスタービンの受注が増加しているなか、生産性を更に上げるため最新鋭の岡山事業所を稼働させました。

ところがリーマンショックの影響が大きく想定の受注に至らない状況となり、長年稼働してきた神戸事業所を閉鎖し、岡山事業所に統廃合するという決断をし、神戸事業所の社員に岡山事業所への異動を要請しました。社員の生活を慮りながらの苦渋の選択でした。

そのとき私は、「人心が荒れている」との危機感を抱きました。このままでは経営が立ち行かなくなる。そこで「もう一度社員の心を一つにまとめ直したい」「経営の建て直しを加速させたい」。その思いで「全員参加経営」をモットーとしたアメーバ経営の導入を望んだのです。

そして導入しようとした2011年。タイで大洪水が発生し、タイの関係会社の設備はすべて水没したため、収支・資金繰りの負担が大きくのしかかりました。しかし、創業者からの「早くアメーバ経営を導入しろ。

心を合わせることが大事だ」との檄にも後押しされ、2012年、一気呵成に導入を進めていったのです。100箇条からなる「フィロソフィ手帳」を作成。「アメーバ経営」と「フィロソフィ」の両輪を回す体制をつくっていきました。

――そのような厳しい経営状態での導入で、成果はどう上がったか、お聞かせください。

(二村)当社では、元々事業部制を敷いていたので、部門やプロジェクトごとの経営管理は間違いなくやっていました。また、原価計算の際に工数は把握していました。しかし、「時間当たり採算」の数字は把握していませんでした。そこが大きく変わったところです。

また、部門責任者クラスには、ある程度の経営感覚は身についていましたが、アメーバ経営によって部門をさらに細かく分けてグループ化し、社員みんなが経営に参画できるような形にしたので、社員一人ひとりの仕事に対する意識が高まりました。

一人ひとりが「自分は具体的に何をしたらいいのか」「どこに行くのか」ということが明確に認識できるようになったのです。アメーバ経営の場合には、社員各人が経費の科目も含めて、数字を積み上げていく。そのトータルが会社全体の数字に繋がっているから、わかりやすいですね。

また、アメーバ経営によって、アメーバ―リーダーが数字で経営を語ってくれるようになりました。これは実に喜ばしく、楽しいことです。中長期的な事業構造改革においても、若い世代の彼らが活躍してくれるだろうと期待しています。

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フィロソフィ手帳が果たした役割

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