信仰に殉じた戦国武将・高山右近
とはいえ、キリスト教に接近した武将がすべて伊達政宗のように打算づくだったわけではない。
2016年1月22日付の国内各紙には、戦国時代の高名なキリシタン大名である高山右近(1552〜1615)が、バチカンから「福者(ふくしゃ)」に認定されるという記事が掲載された。
2017年2月に大阪で高山右近の列福式が開催されることになったという。「福者」とは「聖人」になる前の段階を指す。
2016年9月、聖人に認定されたマザー・テレサも、それまでは福者だった。同月4日にローマで行なわれた列聖式の際には、サン・ピエトロ広場が約12万人の群集で埋めつくされたという。
高山右近は、徳川家康が大坂夏の陣で豊臣秀吉の遺児たる秀頼の息の根を止め、徳川幕府の権力を確定した年に死亡している。
家康や秀吉ほど知名度はないが、戦国時代末期に現れた、優れた武将として知られている。関ヶ原で繰り広げられた覇権争いの戦では西軍にも東軍にも属さなかったが、なにより最後までキリスト教信仰を捨てなかったことで記憶されている武将でもある。
そのため、当時、禁教令を徹底しはじめた徳川幕府に国外追放され、フィリピンのマニラで病死したとされている。
彼の武将としての能力は戦国時代にあっては折り紙つきのものであり、関ヶ原の戦いのあとも高禄で召し抱えるという大名からの誘いがいくらでもあったが、右近はこれらをすべて断り、クリスチャンとしての信仰に殉じたとされている。
そして没後400年目にして、カトリックの殉教者としての名誉がバチカンより与えられる運びとなったのである。