末期がん告知から9ヶ月…自分の名前が書けなくなった
2020年03月09日 公開 2020年07月04日 更新
朝起きると、視野が狭くなっている
5月21日の朝、右眼の上半分に黒っぽい幕が降りている。やけに視界が狭い。左手で両眼に代わる代わる手を当ててみる。右眼の視界が明らかにおかしかった。
いや、これは気のせいだ。明日になれば治ってるさ。動揺しながらも自分に言い聞かす。しかし翌日も同じように視野は狭かった。いや、前日よりどんどん狭くなっていた。まずい、本当にまずい。
慌ててスマホで調べてみる。視野欠損。緑内障の症状だった。なんだ、緑内障か、よかった。ホッとした。しかし説明の一番下にこう書いてあった。
『脳腫瘍でも同じような症状が出る可能性があります。至急病院に行ってください』
脳腫瘍だと? 脳に転移したのか? いや、そんなことはないだろう。きっと明日になったらよくなってるさ。しかし、よくなることはなかった。
これは何か起きている……。そろそろ調べなくちゃいけないかもしれない。
肺がんは増殖し、肝臓にも転移。そして脳も…
僕は肺がんの経過観察は受けていなかったが、心臓・循環器の定期健診は3カ月ごとに受けていた。そこで心臓の主治医である松井先生に話してみることにした。
「実は肺の経過観察を全然していないもんで……前の大学病院ではもう来るなって言われまして」
「ひどいね、そこ」
「ええ、まあ。で、あれから半年以上経ったので、この病院で肺のCTを撮ってもらうことってできますか?」
「いいよ、もちろん、お安い御用です」
「ありがとうございます!」
数日後、撮ってもらったCT画像を見ながら松井先生は言った。
「画像診断医っていう人がいてね、画像を見る専門の医者なんだけど、その人のコメントによると……」
「はい」
「肺がんは以前より増殖していて、肝臓にも転移している可能性が高いって書いてある」
「肝臓もですか?」
「ええ、そう書いてありますね」
「でも、それくらいなら問題ないです。前のとこなんて、脳にも転移してるって脅されましたから」
「いや、脳も怪しいって書いてあるんだ」松井先生の声が沈んだ。
「脳も、ですか?」
「うん」
松井先生は画像診断医のレポートを印刷して僕に渡してくれた。
「これは専門のところで、ちゃんと診てもらったほうがいいよ」
5月下旬のある日、長男と次男を呼んだ。
「知っての通り父さんは肺がんステージ4だ。1年生存率は3割って言われてから9カ月経った。頑張っているけど、今年の冬、父さんはいない可能性が高い」
「父さんが死んだ後、母さんを頼む。2人で母さんを助けてくれ」
覚悟を決めたかのように、2人とも無言でうなずいた。
しばらくして妻が買い物から戻って来た。
「僕が死んだ後のことを話し合っておこう。僕が死んだら保険金で毎月おおよそ15万円くらいは出ると思う。子どもたちはもうすぐ社会人になるからもうちょっとの辛抱だと思う。
最悪は家を売ればいい。安いアパートを借りれば当面はなんとかなるだろう。子どもたちの学費は僕の死亡保険金が200万円くらい出るから、それでなんとかなる。葬式は金がかかるから一番安いのでいい」
「うん、わかった……。でも……」妻はうつむいた。
「いや、一人にしないで。一人になりたくない」そう言って、泣いた。
「ごめんね」僕も泣いた。